賀川豊彦と一億総懴悔運動とは? わかりやすく解説

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賀川豊彦と一億総懴悔運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:46 UTC 版)

東久邇宮稔彦王」の記事における「賀川豊彦と一億総懴悔運動」の解説

東久邇宮は、平和運動第一人者だった賀川豊彦首相官邸招き今や日本道徳地に落ち人心はすさみ、誰もこれを救う力がありません。外国人への敵対心憎しみ取り除かないポツダム宣言発表できないのです。世界平和目指し諸外国日本を結ぶために活動する資格のある者は、あなたをおいて他にないよう思われます。そこで人心新たにするために、内閣参与制度作ることにしました。ぜひあなたも参与になってください。そして、どうしたらいいか、意見聞かせてください」と相談した。これを受け、賀川今後日本国家的方針について日本基督教団団員たちに相談すると、教団主事木俣敏が「早急に国民呼び掛けてキリスト教徒そうでないも一つになって過去における生き方考え方反省し懴悔をする運動起こしたどうでしょうか」と提案したという、賀川教団役員たちはこの意見賛成表明し東久迩宮に総懴悔運動について提案をした。この意見聞いた東久迩宮最初驚いた顔をしたという。賀川続けてそうです。まだ戦争始まらない頃、ある有名な議員の方が来られて、日本の軍隊世界最強と言われました。私はその時日本あたかも聖書語られている放蕩息子のような気がしたのです」「日本ほど恵まれた国はありません。豊かな作物温順気候他国侵略を受けにくい地形。それなのに、いつの間に日本平和に慣れきって、ぜいたくになり、富める者は貧しい者を搾取し資本家と結びついて一大工業国となりました。しかも軍備誇り何の抵抗もしない他国侵略し残虐行為繰り返した」「私はこの放蕩息子がいつか行詰まり破滅しないわけはない思いました果たして、日本敗戦によって打ち砕かれました。今日本がなすべきことは、放蕩息子本心立ち返り、父に許し求めてそのもと帰ったように、国民一つとなり、今まで生き方考え方反省し懴悔をして新しく出直す以外にありません」と述べた。これを聞いた東久迩宮頷きラジオ通してあらゆる人に懴悔呼び掛けましょう老い若きも、男も女も、職業いかんを問わずこぞって過去思い上がり改め、平和国家に生きるとしての一歩始めるように」と述べたとされる

※この「賀川豊彦と一億総懴悔運動」の解説は、「東久邇宮稔彦王」の解説の一部です。
「賀川豊彦と一億総懴悔運動」を含む「東久邇宮稔彦王」の記事については、「東久邇宮稔彦王」の概要を参照ください。

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