谷岡弘規とは? わかりやすく解説

谷岡弘規

(谷岡行二 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 09:55 UTC 版)

たにおか こうき
谷岡 弘規
本名 谷岡 行二(たにおか こうじ)
生年月日 (1949-06-05) 1949年6月5日(74歳)
出生地 日本, 島根県松江市
身長 178cm[1]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
事務所 たむらプロ( - 1983年
主な作品
テレビドラマ
飛び出せ!青春
バトルフィーバーJ
虹を織る』『徳川家康
映画
続・人間革命
舞台
屋根の上のヴァイオリン弾き
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谷岡 弘規(たにおか こうき[2]1949年6月5日[2][1] - )は、日本の元俳優。本名および旧芸名は、谷岡 行二たにおか こうじ[2][1]

島根県[1]松江市出身[2]島根県立松江北高等学校卒業[2][1]たむらプロに所属していた[1]

人物

高校卒業後に上京し、ビルの清掃夫などの職業を経て、東宝芸能アカデミーで演技を学ぶ[2]

時代劇の端役でデビューした後、1972年テレビドラマ飛び出せ!青春』(日本テレビ)の谷岡次郎役でレギュラー出演[2]。以降も青春ドラマを中心に多数の作品に出演した。

1973年に放送された『ダイヤモンド・アイ』の主役オーディションに東宝の推薦で参加。大浜詩郎とともに最終選考まで残るが、放送局であるNET側の意見により大浜に決定[3]。本作品の第5話から第11話まで、北見八郎役で出演している。

1977年姓名判断により、"谷岡 行二"から"谷岡 弘規"に改名[2]1979年バトルフィーバーJ』(テレビ朝日)でチームのリーダーである伝正夫役を演じた。同作品で共演した倉知成満(当時・倉地雄平)は、谷岡について実際にリーダーとして仲間をまとめているイメージであったと述べている[4]

その後も、大河ドラマ帯ドラマなど、テレビを中心に俳優として活躍した。また、舞台屋根の上のヴァイオリン弾き』では7年に渡って、ロシアの青年・フョードカを演じた[2]

1980年代中盤に芸能界を引退。

特技は、柔道殺陣バレエ[1]。少年時代はエンジニア志望で、1981年のプロフィールでは俳優になった動機として、「もともとは人前に出るのも嫌いだったが、自分の正反対のものにチャレンジしようと思って俳優になった」と述べている[2]

出演

テレビドラマ

映画

舞台

CM

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'83』VIPタイムズ社、1983年、139頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 福島民報』1981年11月15日付朝刊、11面。
  3. ^ 『レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全』2002年7月30日、156頁。 
  4. ^ 「SPECIAL INTERVIEW'79 倉知成満」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1979 バトルフィーバーJ講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2019年1月10日、20-21頁。ISBN 978-4-06-513705-5 

参考文献

  • 『レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全』双葉社、2002年7月30日。ISBN 4-575-29442-X 




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