議論の復活と進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 00:53 UTC 版)
「国際刑事裁判所の歴史」の記事における「議論の復活と進展」の解説
90年代に入り冷戦が終結すると、冷戦後に頻発した民族紛争に対処するために国際社会は新たな手段を必要とした。そして、旧ユーゴスラヴィアやルワンダの紛争における集団レイプや大量虐殺、人道に対する罪といった重大な国際犯罪を裁く臨時の国際犯罪法廷(International Crime Tribunals)として、旧ユーゴスラヴィアの戦争犯罪を裁くICTY(旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷)、ルワンダ虐殺を扱うICTR(ルワンダ国際戦犯法廷)などが設置されたことにより、常設の国際刑事裁判所設置の議論が復活し、急速に進展した。非政府組織(NGO)もこの準備過程へ積極的に参加し、国連や各国政府に対して様々な働きかけを行った。このときに誕生したのが、現在世界の2,000以上のNGOによって構成されるCICC(国際刑事裁判所を求めるNGO連合)である。 1989年8月、トリニダード・トバゴの国連代表が、国連事務総長に宛てた書簡で、個人の国際的刑事的責任を訴求することと、その訴追の為の国際刑事裁判所の設置を国連総会において審議することを提案した。 1992年11月、第44回国連総会はこの提案を受けて、国際法委員会へ常設国際刑事法廷の設立草案の策定再開を勧告した。 1994年12月、国際法委員会が国際刑事裁判所設立規程の草案の策定を完了し草案を国連総会に提出した。総会は、国際刑事裁判所の設立に関する特別委員会(Ad Hoc Committee on the Establishment of an International Criminal Court)の設置を認める決議を採択した。 1995年12月、特別委員会は国連総会で設置以後2回に渡って行われた会合の結果を報告した。総会はこの報告を受け、新たに準備委員会(Preparatory Committee)の設置を決める決議を採択した。 1996年12月、国連総会は国連加盟国の全権大使による外交会議の1998年開催を求める勧告決議を採択し、この会議の主催を申し出たイタリア政府に対し深い感謝の意が伝えられた。 1998年3月、国連が設置した国際刑事裁判所の設立に関する準備委員会が、その最終会合で国際刑事裁判所設立規程草案の策定を完了する。
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