議論の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 05:14 UTC 版)
昭和22年(1947年)10月24日、皇族の大半が皇籍を離脱したことによって皇室の成員が大幅に減少した。更に、昭和40年(1965年)に礼宮文仁親王が誕生して以降、昭和後期から平成中期にかけて、皇室に男児が一人も誕生しなかったことにより、上述の皇統断絶の危険性が発生した。平成16年(2004年)末に公の議論が始まった段階で、男性皇族の最年少の文仁親王は39歳であった。 2004年(平成16年)12月31日時点での皇室系図(男系/父系) ※名前右の()内に当時の年齢、名前下に当時の皇位継承順位併記。 第123代天皇大正天皇(故) 第124代天皇昭和天皇(故) 秩父宮雍仁親王(故) 高松宮宣仁親王(故) 三笠宮崇仁親王(89)(第4位) 男児なし 男児なし 第125代天皇今上天皇(71) 常陸宮正仁親王(69)(第3位) (三笠宮)寬仁親王(58)(第5位) 桂宮宜仁親王(56)(第6位) 高円宮憲仁親王(故) 男児なし 男児なし 男児なし 男児なし 皇太子徳仁親王(44)(第1位) 秋篠宮文仁親王(39)(第2位) 男児なし 男児なし
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