議論の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 05:35 UTC 版)
台湾では統一案が積極的に提案されることはなく、この問題は、中国の事前条件の下で会談を拒否した陳水扁の下では議論の余地があった。中国の胡錦濤政権下では、2008年までは独立派である陳水扁政権が続くという現実の中で、台湾の編入は重視されなくなった。その代わり、独立に反対する政治家との会合に重点が移った。 2005年に実施された泛藍連盟の中国大陸訪問(英語版)は、中国政府の現状認識を暗に示したものと受け止められた。特に連戦・国民党主席の歴訪は、政府系メディアや胡錦濤国家主席ら高官との会談で、演説や視察(肯定的なコメントが寄せられた)が未編集のまま報道されたことが特徴である。続いて宋楚瑜親民党主席、郁慕明新党主席らも、同様の措置(歴史的な重要性とメディアの注目が少ないにもかかわらず)を取った。共産党と泛藍連盟は、1992年コンセンサスの下での新たな交渉において、それぞれの立場の共通性を強調し、三通開放を主張し、台湾の正式な独立に反対した。 中国は連戦訪中直前に反分裂国家法を成立させた。泛緑連盟は台湾制圧のための武力使用の法典化に抗議するために大規模な集会を開いたが、泛藍連盟はほとんど沈黙していた。反分裂国家法の文言は、明らかに台湾(法律で「「台湾独立」分裂勢力」と呼ばれる)の独立支持者を対象としており、泛藍連盟にも受け入れられるように意図されていた。台湾が中華人民共和国の一部であることを明確に宣言したわけではなく、定義に柔軟性を持たせるため、「中国」という用語を単独で使用した。「平和統一の推進」を繰り返し強調しながらも、「一国二制度」の概念は省き、台湾の即時編入ではなく、最終的な編入を念頭に「段階と局面に柔軟で変化に富んだ方法」での交渉を呼びかけた。 陳水扁と馬英九の両政権下で、両岸関係における主な政治的変化は、経済関係の緊密化とビジネスおよび個人的な訪問の増加であった。こうした動きに対して、2014年に海峡両岸サービス貿易協定破棄に繋がった「ひまわり学生運動」のような草の根の反対運動があった。馬英九は、台湾で使用され、歴史的に中国で使用されてきた繁体字中国語を中国大陸向け文書で再導入するなど、中国文化の再生を提唱した。また、非公式文書に簡体字中国語を使用することを認める意向を表明した。
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