調布撮影所の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 07:56 UTC 版)
1953年:日活が映画製作再開を発表、調布に撮影所建設を着工。 1955年:第三期工事終了、撮影所が完成。 1969年:日活が経営難により撮影所を売却。 1973年12月23日:多摩川河川敷で昼頃に発生した火災が延焼、オープンセット・第7ステージが焼失。 1975年:日活本社が日比谷パークビルから撮影所内に移転。日活芸術学院が開校。 1977年:撮影所明け渡し訴訟の和解が成立。撮影所を買い戻す。 1979年:撮影所北半分を売却、分譲マンションが建設される。 1989年:第5ステージにて撮影中に火災事故発生。スタッフ1名が死亡、女優の藤谷美紀他20数名が負傷した。 1993年:にっかつが会社更生法の適用を申請し倒産。その後ナムコの支援を受けて再建を開始。 1998年:撮影所内にデジタルスタジオを建設。 2000年2月:日活が、ナムコ創設者中村雅哉の個人会社である「株式会社マル」への調布撮影所の売却と、3年以内の新撮影所の建設計画を発表する。 2001年:横浜市の「新映像都市構想」による横浜みなとみらい21への日活撮影所移転計画が明らかになり、日活労働組合が反発。 2003年11月:移転計画が白紙撤回される。 2005年:日活がインデックス傘下に入る。 2009年:日活が日本テレビ放送網の関連会社となる。撮影所リニューアル計画を社員に向け発表。株式会社俳優座劇場の70%出資・日活の30%出資で「株式会社アートインプレッション」が設立され、美術センターの社員が出向する。 2010年1月:日活が(株)マルより撮影所の建物を買い取る。 2011年9月:アートインプレッションが解散し、美術業務は日活スタジオサービスに引き継がれる。 2012年:日活の100周年を機に、調布の撮影所名称を「日活調布撮影所」とする。 2013年3月:日活芸術学院閉校。 2014年3月10日:城西国際大学紀尾井町キャンパス内に、撮影所内のスタジオセンターとは別に「ポストプロダクションセンター」を新設。 4月:撮影所の美術業務を日本テレビアートが請け負う。 2014年5月:第5~第8ステージを含む用地を売却。同時に存続する第9~第13ステージは、それぞれ逆順に第5~第1スタジオへと改められる。 2020年10月:XR技術を使ったバーチャルプロダクション事業のため、日活・デジタル・フロンティア・AOI TYO Holdingsの共同出資で「バーチャル・ライン・スタジオ株式会社」を設立。それに伴い第4スタジオを当該会社専用の、リアルタイム合成対応グリーンバックスタジオに改装する。
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