語録・その他
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「我々は失業率とドイツに住む外国人を半分にします!」(1983年の選挙演説にて) 「今後ドイツの地からは、平和のみが広まるべきだ」(1989年12月19日、東ドイツのドレスデンにて) 「成功した産業国家、すなわち未来ある国家たるものは、テーマパークのように組織されてはならない」(1993年、労働と休暇時間についての政府声明) 「それは古典的なジャーナリスト的主張ですな。それは正しい (richtig)が、真実(Wahrheit)ではない」(1994年、テレビ出演での発言) 「昨日の理想主義者は今日の現実主義者になる」(1998年、「ディー・ツァイト」紙上でのヘルムート・シュミットとの論争) 「ドイツの統一とヨーロッパの統合は、メダルの両面のようなものである」(2002年、CDU党大会での締めくくりの言葉) 「(もしやり直せるならば)かつて私がやって来たことを再び同じようにやるだろう、とは私には言えない。なぜならその道は上り下りが激しく、時に誤りさえあったのだから」(2007年、インタビューで) 在任中は政治的・非政治的なさまざまなメディアに揶揄されたが、とりわけその太りすぎの体(その体重はドイツの最高機密と皮肉られた)と田舎臭い訛り(schの音をchと発音)、学歴の割に拙い外国語などがからかいの対象になった。とりわけ有名になったのが風刺雑誌「Titanic(ドイツ語版)」に掲載された風刺画で、彼の顔を西洋ナシに見立てたものだった。水っぽい西洋ナシ(ドイツ語でBirne)は「間抜け」という意味合いもあるので、"Birne" という語はコールの代名詞のようになっていた。ドイツ統一でコールの威信が上がるとそのような風刺は鳴りをひそめていたが、政権末期には再び見られるようになった。 元フランス大統領フランソワ・ミッテランが癌で死亡した際、パリで行われた追悼ミサにて人目をはばからずに涙し、死を大変悲しんだ。ヤーセル・アラファートやボリス・エリツィン、フィデル・カストロ、チャールズ皇太子なども出席はしていたが、誰も涙を見せようとはしなかった。 不正献金疑惑を厳しく追及したメルケルとは不仲になり、メルケルが中東などからの難民に国境を開放したことを受け、2016年に出版した著書で「欧州は、世界中で困難に直面する数百万人の新たな故郷とはなり得ない」と名指しを避けて批判した。
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