誘致決議と長期計画への組入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:17 UTC 版)
「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の記事における「誘致決議と長期計画への組入れ」の解説
1991年9月25日、双葉町議会は8時間の審議の後全会一致で増設誘致決議を採択した。提案したのは木幡忠照町議である。当時の議会構成は無所属14名、公明党、社会党がそれぞれ1人ずつであった。木幡は「五年ほど前から増設について東京電力や通産省に打診していたが、色よい返事は得られなかった。しかし一方で町の財政は悪くなっており、ここで財源を確保しなければと思った」と胸中を明かしている。一方『原子力資料情報室通信』1992年5月号によれば、国会陳情で上京した際には東京電力にも立ち寄ることにしており、その際に「増設してもらえないか」と持ちかけられたという。また、木幡は本発電所が建設された頃は「何とバカなことを」と酷評していたが、町議になってから態度を転換、社会党の説得に奔走した。町が主体的に行う決議のため、発起者は東京電力と係わりの無い人物であることが望まれたが、当時の町議16名の内、本人や近親者に東京電力や関連会社と係わりを持たない者は木幡ただ一人であったという。 この後、岩本町長は町内全地区で行政懇談会を開いて理解が得られたとし、東京電力、福島県、資源エネルギー庁、科学技術庁に増設の正式要請を行った。 東京電力は「感謝にたえない。着実に進める」と回答、1992年4月10日明らかにした施設計画に、2001年度運転開始予定として、場所は明示しなかったものの新規原子炉1基の建設を盛り込んだ。1993年度には2機の増設を自社の長期計画に組み入れた。ただしこの時点では自社の長期計画で「場所を明示しない記号地点」として原子力プラントに付与しているナンバー(N1、N2)として表記され、立地点はあくまでマスコミの予想に過ぎなかった。 なお『福島民友』が1992年1月に実施した町民250人への電話世論調査では、賛成30%、反対30.4%、どちらともいえない24.4%、分からない10%、言えない5.2%との結果を得たが、町政に対しては「安全性の確保」「自助努力の推進」を訴える苦情も相次いだという。
※この「誘致決議と長期計画への組入れ」の解説は、「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の解説の一部です。
「誘致決議と長期計画への組入れ」を含む「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の記事については、「福島第一原子力発電所7、8号機の増設計画の経緯」の概要を参照ください。
- 誘致決議と長期計画への組入れのページへのリンク