記念碑と泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 14:17 UTC 版)
ルイージ・カルデリーニの「ゼルヴェの泉」は1910年に建立され、企業家フリッツ・ゼルヴェによって寄贈されたものである。この泉の上には、寄贈者の父であり、企業「バッセ・ウント・セルヴェ」の創業者である H. D. ゼルヴェのほぼ等身大の銅像が建てられている。彼は金床とともに鍛冶として表現されている。この泉はネオバロック様式で、その建てられている場所、すわち旧アムトハウス前のザウアーフェルダー通りとフライヘル=フォム=シュタイン通りとの角が都市の成立上重要な交差点であることを強調している。 彫刻家ヴァルトマール・ヴィーンの、庶民に人気のブロンズ像「オンケル・ヴィリー」(直訳: ヴィリーおじさん)は、犬を連れたリューデンシャイトの理想的人物像を表現している。少なくない数のリューデンシャイト住民が、シュテルン広場の中央に建つこの像は自分の伯父/叔父をモデルにしていると主張している。 同じくシュテルン広場に、1970年代後期から「ノイマンの泉」が存在する。基壇の円形に取り囲んだ壁の上に都市の歴史を刻んだレリーフが掲げられている。 1980年代のグラーフ=エンゲルベルト広場建造に伴い、おそらく紋章官を象った金属像をもつ歴史的な泉が造られた。ここにはリューデンシャイトの街の創設者であるマルク伯エンゲルベルト1世(ドイツ語版、英語版)のレリーフが掲げられている。 リューデンシャイトの公共のスペースにあるものの中で、芸術作品という観点からおそらく最も重要な像が「グローサー・ヴェヒター」(直訳: 大きな見張り)と呼ばれる像である。ゲオルク・コルベは、この等身大よりも大きな像をブッケスフェルダー兵舎(「フラーク兵舎」)の委嘱作品として、1936年に鋳造した。現在は、クナッパー通りの AOK(健康保健会社)前の緑地に建っている。 1902年に建設したカイザーアレーのビスマルク柱は1965年に取り壊された。しかしこの帝国宰相のための小さな記念碑がローアー・ヴェルトヒェンに存在している。 シュタットパルクの栄誉碑は、1935年に彫刻家ヴィリー・メラーによって制作された、解釈次第で目覚めているようにも死んでいるようにも見える、等身大よりも大きな若者の像である。第三帝国の国策を彷彿とさせるこの像がある一画は、第一次世界大戦の犠牲者に捧げられていたが、後には第二次世界大戦の犠牲者にも捧げられている。このテラス状の場所からは街の優れた眺望が得られるため、この栄誉碑は、隣接してあり1970年に解体されたレストラン「パルクハウス」とともに人気のハイキング地となっていた。 公共スペースの近代的な像の一例が、アンスガー・ニールホフによる3つの特殊鋼の立方体である。「ブレヒビュクセン」(直訳: 金属の箱)と呼ばれているこの作品は、市庁舎広場にあり、長年賛否の議論の的となっていた。数年間倉庫に収納された後、2013年に文化館前のシュタットガルテン(庭園)に新たに設置された。 ゼルヴェの泉 グラーフ=エンゲルベルト広場の泉 グローサー・ヴェヒター
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