西都市立妻南小学校とは? わかりやすく解説

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西都市立妻南小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 10:06 UTC 版)

西都市立妻南小学校
北緯32度05分55.5秒 東経131度24分06.8秒 / 北緯32.098750度 東経131.401889度 / 32.098750; 131.401889座標: 北緯32度05分55.5秒 東経131度24分06.8秒 / 北緯32.098750度 東経131.401889度 / 32.098750; 131.401889
過去の名称 妻町立第二小学校
妻町立妻南小学校
西都町立妻南小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 西都市
設立年月日 1949年昭和24年)4月1日
学期 3学期制
所在地 881-0005
宮崎県西都市大字三宅116番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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西都市立妻南小学校(さいとしりつ つまみなみしょうがっこう)は、宮崎県西都市大字三宅にある公立小学校

概要

歴史
1949年昭和24年)に、当時の「妻町立妻小学校」が「第一小学校(現・妻北小学校)」と「第二小学校(現・妻南小学校)」の2校に分離して開校した。現校名になったのは1958年(昭和33年)。2024年令和6年)には創立75周年を迎えた。
校章
学問を象徴するペン先3本と鏡を組み合わせたものを背景にして、中央に「南」の文字を配している。
校歌
1952年(昭和27年)に制定。作詞は旭吉法城、作曲は海老原直による。歌詞は2番まであり、1番の歌詞中に校名の「妻南」が登場する。
通学区域
「国分、清水、鳥子、田中、上・下尾筋、上宮、松田、矢生町、右松一~五丁目、園元、赤池、今井、岡富、瀬口、四日市、黒生野、粟野、小野崎町一丁目(一部)、小野崎町二丁目、有吉町一丁目(一部)、有吉町二丁目(一部)、有吉町三丁目(一部)、下妻(一部)、現王島」。中学校区は西都市立妻中学校[1]

沿革

前史・妻小学校

西都市立妻北小学校と前身を同じくする。

  • 明治初期 - 「右松小学校」・「三宅小学校」・「岡富小学校」の3校が創立。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、各小学校に簡易科(3年制)が設置され、簡易小学校となる。
    • 「簡易右松小学校」・「簡易三宅小学校」・「簡易岡富小学校」
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡2町(妻・右松)および7村(現王島・黒生野・岡富・清水・三宅・右松・妻)が合併の上、「下穂北村」が発足。
  • 1890年(明治23年)4月1日 - 一村一校設置の原則により、上記の3校を統合の上、「尋常下穂北小学校」(4年制)となる。
  • 1892年(明治25年)4月1日 - 「下穂北尋常小学校」に改称。
  • 時期不詳 - 高等科を併置の上、「下穂北尋常高等小学校」に改称。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。
  • 1924年(大正13年)
    • 4月1日 - 下穂北村が町制施行の上、「下穂北町」となる。
    • 8月1日 - 下穂北町が「妻町」に改称。
  • 1932年(昭和7年)6月 - 「妻尋常高等小学校」に改称。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令施行により、妻青年学校を併置。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「妻町妻国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 国民学校初等科は、新制小学校「妻町立妻小学校」に改称。
    • 5月8日 - 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校妻町立妻中学校」に改組・改称。小学校に併設。
  • 1962年(昭和27年)3月31日 - 閉校。
妻南小学校
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 妻町立妻小学校が「妻町立第一小学校」と「妻町立第二小学校」の2校に分離。
    • この時点では、妻町立妻小学校も併存。
  • 1950年(昭和25年)12月1日 - 「妻町立妻南小学校」に改称。
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月 - 北校舎の東側に3教室を増築。
    • 4月1日 - 妻町立妻小学校の廃止に伴い、校区を改定。校歌を制定。
    • 6月 - 東校舎の東側に3教室を増築。
    • 10月 - 講堂が完成。
  • 1953年(昭和28年)1月 - 南校舎4教室を増築。
  • 1954年(昭和29年)3月 - 正門を東側に設置。
  • 1955年(昭和30年)7月 - 中校舎の西側に4教室が完成。
  • 1957年(昭和32年)
    • 3月 - 完全給食を開始。
    • 4月1日 - 西都町の発足に伴い、「西都町立妻南小学校」に改称。
  • 1958年(昭和33年)11月1日 - 市制施行に伴い、「西都市立妻南小学校」(現校名)に改称。
  • 1959年(昭和34年)2月 - 防音装置教室(15教室)が完成。
  • 1960年(昭和35年)5月 - プールが完成。
  • 1961年(昭和36年)2月 - 防音装置教室(10教室)が完成。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 特殊学級を設置。
  • 1964年(昭和39年)12月 - 防音永久校舎が完成。
  • 1968年(昭和43年)3月 - 岩石園を整備。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 防音講堂が完成。
  • 1973年(昭和48年)11月 - 北側運動場を拡張。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 特別教室(家庭科室・図工室・視聴覚室)が完成。
  • 1979年(昭和54年)1月 - 「希望の右」を建立(揮重は文部大臣砂田重民による)。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 北校舎が完成。
  • 1984年(昭和59年)8月 - ミニ動物園が完成。
  • 1991年(平成3年)3月 - 体育館が完成。
  • 1994年(平成6年)3月 - 新プールが完成。
  • 1999年(平成11年)
    • 2月 - 創立50周年記念式典を挙行。
    • 12月 - 本館の防音機能復旧工事が完了。
  • 2002年(平成14年)11月 - 韓国文化交流団が来校。
  • 2013年(平成25年)12月 - 校舎改築(旧南校舎)に伴う、仮設校舎への移転を完了。
  • 2016年(平成28年)4月 - 新校舎が完成。
  • 2017年(平成29年)7月 - 台湾の小学生と交流を実施。
  • 2019年(平成31年)4月 -「出会いの教室」、「相互乗り入れ型学年担任制」を導入。

交通

最寄りのバス停留所
  • 西都市コミュニティバス・デマンド型乗合タクシー「三宅入口」停留所
最寄りの幹線道路

周辺

  • 学校法人朝日学園 認定こども園あさひ幼稚園
  • 宮崎県立産業技術専門校

脚注

  1. ^ 小中学校通学区域一覧 - 西都市ウェブサイト

参考資料

  • 「西都市史. 通史編 下巻」(2016年(平成28年)3月, 西都市)

関連項目

外部リンク




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