西遊記の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:55 UTC 版)
詳細は「西遊記の成立史」を参照 宋代には原型となる説話「大唐三蔵取經詩話」(三蔵が猴行者 を連れ取経の旅をする)が存在していた。西遊記でいま残っている最古のものは元代の西遊記の逸話を収録したとみられる朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)によるものである。写本は科挙を目指す書生たちが息抜きに作成していったと思われ、書き写されるたびに詩文・薀蓄が追加され、拡張され、また、戯曲の雑劇「西遊雑劇」として好んで上演された。 明代には多数の西遊記版本があった。代表的なものは『西遊記傳』(楊至和本)、『唐三藏西遊傳』(朱鼎臣本)など三種のうちその最も膨らんだ姿が、万暦20年(1592年)金陵世徳堂の刊行した『新刻出像官板大字西遊記』(作者名なし 通称は世徳堂本)である。 明末期になると、蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』があり、内閣文庫に収蔵されているが、むろん李卓吾の名は他の小説本と同様に、刊行元が価値をつけるために勝手に付けられたものである。本文は世徳堂本とほぼ同じである。 この版での全訳が、中野美代子訳 『西遊記』(岩波文庫全10巻)。 これらは(繁本版には詞が多数入っているので)分量が多すぎたとみられ、清代には商業ベースを考慮したダイジェスト(簡本)が『西遊証道書』をはじめ、多くの版が刊行されたが、それらの内容を比較するとそれぞれ一長一短であるが、最もバランスよく整理されているのが、やや大部の簡本で康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』である。この版での訳書が、太田辰夫・鳥居久靖訳 『西遊記』(平凡社) である。
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