西遊記と後世評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 07:41 UTC 版)
詳細は「西遊記の成立史」を参照 最も著名な『西遊記』に関しては、「最後の改訂をした作者」とみなされ、中国本土ではその主張が広く知られている。いわゆる明刊本「世徳堂本(新刻出像官板大字西遊記)」の陳元之による序(1592年)では作者は不明とされているが、乾隆帝の時期に淮安出身の学者が承恩の顕彰を始め、呉玉搢『山陽志遺』、丁晏『石亭記事続編』、阮葵生『茶余客話』で事蹟が記され、これらでは『西遊記』を承恩の作とされており、魯迅や胡適はこれらを元に承恩を西遊記作者とした。 日本においても1963年に刊行された、太田辰夫と鳥居久靖の訳による平凡社版でも、「呉承恩作」と明記され、岩波文庫の小野忍訳(3巻目まで)でも、留保付きで「呉承恩作」が踏襲された。 だが太田は、その後研究を深めた結果、中国古典文学大系本以降は〈呉承恩〉のクレジットをはずし、後に『西遊記の研究』などの論考で、呉承恩に『西遊記』という著作があったことが事実だとしても、それは三蔵法師と孫悟空の物語ではないことを立証した。中野美代子訳(4巻以降、岩波文庫)では、呉承恩は明記されず、改訳版(全10巻)でも呉承恩作者説は採られていない。中国でも1990年代以降に呉が『西遊記』の作者という説に疑義が提示され始めている。
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