西方イスラーム哲学とは? わかりやすく解説

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西方イスラーム哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 09:39 UTC 版)

イスラーム哲学」の記事における「西方イスラーム哲学」の解説

歴史的に見れば、西方イスラーム哲学が発展したのは、アッバース朝衰退・滅亡した後の12世紀-13世紀のことである。この時期は、アヴィセンナガザーリーも既にこの世の人ではなく、ちょうど時期的に東方イスラームからバトンタッチされた形で西方イスラーム哲学は興隆した。無論、この時期以前にも西方イスラーム世界にも哲学者存在したが、東方イスラーム伝授したという功績に過ぎなかったと見なされている。西方イスラームでは、知性あり方個人社会の関係や哲学と宗教の関係などにも重点がおかれ、世界の創造霊魂論重点置いた東方イスラーム世界とは一味違った特徴哲学展開された。 この時期には、アフリカ出身イスラムムラービト朝次いでムワッヒド朝興りイスラーム勢力北アフリカ経てイベリア半島にまで達していた。ムラービト朝は、当初イスラーム最初の姿を取り戻そうとした保守的な王朝であったが、次第にそれも薄れ思想的には完全に腐敗しきっていた王朝になってしまった。人々クルアーンをただ暗誦するだけであり、クルアーン書かれている内容への問いかけ研究断じてタブーとされた。イスラムにおいて神聖とされていたハディースですら、ゴミ同然に取り扱っていたという。この思想史的にも腐敗しきった王朝当時神学者ガザーリーにも、痛烈に批判された。この王朝打倒し文化的な復興掲げた新王朝誕生した。これが、ムワッヒド朝である。 西方イスラーム盛んになったのはこのムワッヒド朝であったが、彼らも元々思想史背景乏しかったので、時のカリフ、アブー・ヤアクーブが哲学神学双方発展王朝政策一環として掲げ発展したという経緯を持つ。従って、西方イスラーム哲学は、アヴィセンナをはじめとした東方イスラームとの連携薄く西方イスラーム概ね独自の思想展開をした哲学といってよい。また、ガザーリーによる哲学批判が行われ、哲学大きな変節点を迎えた東方イスラーム世界とは違いイベリア半島中心とした西方イスラーム哲学は、また独自の視点からギリシア哲学受け入れていた。後述するが、彼らの哲学その後イスラム思想の展開では影響与えず、むしろその成果中世ヨーロッパ思想発展影響与えた。(ラテン・アヴェロイスト達。これは後述)これは、思想展開もさることながら地理的な位置多分に影響していると言える

※この「西方イスラーム哲学」の解説は、「イスラーム哲学」の解説の一部です。
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