褐色シャツ型の制服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 19:18 UTC 版)
「制服 (ナチス突撃隊)」の記事における「褐色シャツ型の制服」の解説
ヒトラーの投獄後、ナチ党は禁止され、突撃隊の残党はゲルハルト・ロスバッハ(ドイツ語版)などの他組織の義勇軍指導者達によって匿われ、偽装組織としてフロントバン(ドイツ語版)が結成された。 1921年以来、ロスバッハはオーストリア軍の植民地軍用の熱帯地用シャツを購入しており、以来、自身の義勇軍の制服として用いていた。1924年頃には、余剰となったこの褐色シャツを他の組織へ分配しており、その後、突撃隊にも渡り制服として採用された。 1925年、ヒトラーが刑務所から釈放された後、ナチ党は再結党され、同時に突撃隊も再建された。新設された突撃隊は、初めて正式な統一された組織の規定を受け取り、階級章の使用も採用された。 褐色シャツと乗馬ズボンの制服に加えて、隊員はケピ帽と腕章、褐色のショルダーベルトと腰ベルトとブーツを用いた。腰ベルトは下級隊員はハーケンクロイツを掴む鷲があしらわれたバックルを用い、指導者はオープン・フレーム型のバックル付きベルトを用いていた。当初、突撃隊は1923年以前の階級称号を用いていたが、1926年に隊員が増加したため、新たに連隊規模の編成と階級が追加された。 バイエルン地方の突撃隊の褐色シャツ型制服。ズボンが民族衣装のレーダーホーゼンを模している。 褐色シャツ型制服(右) 乗馬ズボン 制服用ベルト ブーツ 褐色シャツ姿の突撃隊幕僚長エルンスト・レーム(左)とエドムント・ハイネス(右) ブランデンブルク門を行進する褐色シャツ姿の突撃隊(1933年) 行進する褐色シャツ姿の突撃隊(1932年) 褐色シャツ姿の突撃隊指導者学校の教官(1932年) 褐色シャツ姿のキール第187連隊第7中隊の大隊指導者(1938年) 褐色シャツ姿のベルリン『ホルスト・ヴェッセル』連隊の隊員
※この「褐色シャツ型の制服」の解説は、「制服 (ナチス突撃隊)」の解説の一部です。
「褐色シャツ型の制服」を含む「制服 (ナチス突撃隊)」の記事については、「制服 (ナチス突撃隊)」の概要を参照ください。
- 褐色シャツ型の制服のページへのリンク