複線構造をもつステラ・ダラス
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「ステラ・ダラス (1937年の映画)」の記事における「複線構造をもつステラ・ダラス」の解説
これと大きく異なる解釈を提示したのが、カプランと同じくフェミニスト映画理論の研究者リンダ・ウィリアムズである。 ウィリアムズによれば、『ステラ・ダラス』という作品の大きな特徴は、観客が共感を覚える登場人物が複数準備されていて、物語の中心が絶えず入れ替わりつづけていることである。そのため、カプランの主張するように物語は必ずしもステラだけを軸に進行するわけではない。 こうした複線構造の頂点となるのは、ラストシーンである。ステラが路上から結婚式をのぞき見るシーンの前には、ダラスの再婚相手ヘレンと実の娘ローレルが愛情深くステラを思いやるシーンが置かれているが、ここで二人の優しさと心の気高さが描かれるために、観客の印象は輻輳化する。 ウィリアムズによれば、観客はカプランの言うようにステラだけに自己同一化しその排斥に涙を流しているのではなく、実の母親が身を引くという決断が「母と娘の共同作業」として行われているからこそ、観客は心を動かされるのである。 またカプランは作品中のローレルとステラの関係を母親の一方的な自己犠牲にもとづくいびつな親子関係と断じたが、これについてもウィリアムズはさして違和感がないと退けている。 こうした二人の評価の違いをめぐって多くの批評家・研究者が賛否を論じるなか、フェミニスト映画理論における「解釈の恣意性」が批判を受けつつも、映画の物語を解釈する枠組みは様々に洗練されていった。 近年もスタンリー・カヴェルによってステラを「自覚的に自らの姿を演出する戦略的な女性」ととらえた独自の解釈も示されるなど、今も『ステラ・ダラス』はアメリカ映画研究の分野で重要な分析対象となっている。
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