補給列車の捕獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:37 UTC 版)
「アポマトックス駅の戦い」の記事における「補給列車の捕獲」の解説
北軍カスター師団のアレクサンダー・ペニントン・ジュニア大佐の旅団が、エバーグリーン駅でサウスサイド鉄道まで北軍騎兵隊を先導し、その後に6マイル (9.7 km) 西に移動してアポマトックス駅(現在のアポマトックス町)に進んだ。そこで、ペニントン旅団の中でも前衛部隊であるニューヨーク第2志願騎兵隊K中隊が、食料や、靴、衣類、食器、医薬品や銃弾など軍需物資を積んだ貨車の4編成を発見した。 これら列車のうちの3編成はニューヨーク第2志願騎兵隊K中隊の4人の兵士によって捕獲された。彼らは列車に乗り込んで工兵に降伏を命令した。南軍T・M・R・タルコット大佐の工兵数人がこの駅の近くにいる数少ない兵士だったので、彼らは降伏した。ニューヨーク第2志願騎兵隊を指揮していたアランソン・マーウィン・ランドル大佐がこの戦闘に関する証言の中で、貨車の一部は積み荷が無く、カスターがランドルに列車の捕獲を命じた時には、逃げていく準備をしていたと言っている。残り1編成の機関車1両と貨車1両ないし2両がリンチバーグ方向に逃亡し、その後、カスター隊が線路を剥がしてそれ以上の逃亡を阻止した。残された貨車やその編成が燃やされた。ランドル隊が他の3編成の列車の逃亡を阻止した後、白人も黒人も捕虜を集めた。彼らは南軍の兵站部の者達だった。ペニントン旅団の下馬した兵士が駅と周辺を支配した。 北軍騎兵が列車を捕獲してから間もなく、南軍砲兵隊が駅に向かって砲撃を始めた。ランドル大佐は、大砲のあるパークと駅の間にある深い森を通して砲撃する必要があったために、その南軍の砲撃でもほとんど被害は出なかったと報告した。ランドル大佐が列車を動かすために操作した経験のある兵士を呼びかけたところ、十分な数の兵士が前に出て、東のファームビルの方向数マイル、北軍前線の内側で危険の無い所まで、線路上で貨車を動かした。志願兵の内の少なくとも2名はヘンリー・ケイプハート大佐旅団のウェストバージニア第2騎兵連隊から出ていた。この列車と駅を標的にしていた南軍の砲台は、後に北軍の騎兵隊が近くにいた南軍の荷車と大砲のパークを襲撃した時に占領された。北軍騎兵隊が駅を占領してから間もなく、ゲイリーの騎兵分遣隊が鉄道に到着したが、この部隊はウォーカーの陣地の方向に押し返された。 ペニントン指揮下のニューヨーク第2志願騎兵連隊には間もなく、駅の防衛のためにニュージャージー第3志願騎兵連隊が加わった。ヘンリー・エドウィン・トレメイン少佐に拠れば、夕暮れ近くまで北軍2個連隊が南軍の大きな騎兵部隊に対抗して持ちこたえる必要があった。その後カスター師団の本隊が到着して彼らを補強した。歴史家のウィリアム・マーベルは、オハイオ第2騎兵隊がニューヨーク第2騎兵隊に加わった第2の連隊であり、ニュージャージー第3志願騎兵連隊も間もなくそれに加わったとしており、トレメインの証言とは一致しない。2個連隊ではなく3個連隊が駅を保持したことになる。いずれにしても、北軍騎兵隊が南軍をウォーカーの砲兵陣地の方向に押し返した。ペニントンの前衛連隊が後退する南軍の跡を追った。南軍は日没が近づいたときに、リンチバーグとアポマトックス・コートハウスを結ぶリンチバーグ駅馬車道の方向に移動した。
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