補償事業と大井川鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 18:54 UTC 版)
大井川の治水と利水に貢献する長島ダムであるが、ダム建設によって本川根町の39戸が水没、関連移転を含めると43戸の住居が移転を余儀なくされた。住民はダム建設に対し反対運動を繰り広げたが、当時大井川の枯渇原因がダムであった事もあって下流の流域住民も長島ダム建設に否定的姿勢を見せた。建設省は1979年(昭和54年)4月17日に長島ダムを水源地域対策特別措置法の対象ダムに指定、水没住民への補償を厚くする他に水没地域である本川根町の地域整備を実施した。具体的には大井川沿いの露天風呂「もりのいずみ」新設、接岨峡温泉内への温泉会館の建設、久保山ゲートボール場の新設、奥大井湖上駅へのレイクコテージ奥大井の新設などである。 また、大井川沿岸を走る大井川鐵道井川線が川根市代駅から川根長島駅間でダム建設により水没する事から、井川線の存廃問題も起こった。井川線は上流の静岡市井川と千頭を結ぶ重要な交通機関であり、観光路線の一つでもある事から存続を求める声が上がった。このため建設省は1990年(平成2年)より補償工事の一環として井川線の付け替え工事の施工を開始した。 付け替えにより川根市代駅から長島ダム右岸までの間が標高差ができて急勾配となるため、アプト式のラック式鉄道が採用された。川根市代駅をアプトいちしろ駅と改称、長島ダム右岸に長島ダム駅を新設して、この2駅間を電気機関車によって推進する方式である。また、ダム湖を渡る鉄橋を「奥大井レインボーブリッジ」と名付け、橋の中間に奥大井湖上駅を新設した。こうした工事により大井川鐵道は蒸気機関車導入に次ぐ新しい特徴を得ることとなった。その後、井川線には「南アルプスあぷとライン」の愛称が付けられた。
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