衰退と社会不安の時代(1955年-1973年)
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このように、民主化と福祉国家の建設が進んだウルグアイだったが、朝鮮戦争が終結した後の1955年から、モノカルチャー国家ウルグアイの主産業だった農牧品の世界需要が低下したため輸出が激減し、さらに国内市場の狭隘さから輸入代替工業化が行き詰まりを迎え、社会福祉費用の負担が財政を追い込んだ。 経済危機が進む中、この頃には既に伝統的な二大政党が民衆から遊離していたことを反映し、1959年のキューバ革命の影響もあって1962年にはラウル・センディック(英語版)によってゲリラ組織トゥパマロスが結成された。トゥパマロスはブラジルのカルロス・マリゲーラの理論に影響を受けて都市ゲリラ戦術を採用し、モンテビデオでゲリラ戦を繰り広げた。このような危機を受けて、1966年にトゥパマロスへの対応と経済を立て直すための行政効率向上のために、ウルグアイが誇った国民執政委員会は廃止された。1967年にはコロラド党からオスカル・ヘスティード(スペイン語版)大統領が就任したが急死し、副大統領のホルヘ・パチェコ・アレコが大統領に昇格した。 南米最強のゲリラと呼ばれたトゥパマロスは次第に国民の支持を集め、1971年の大統領選挙でトゥパマロスが支持を表明した左翼政党の拡大戦線は全国で18%、首都モンテビデオでは31%の支持を得た。同選挙で拡大戦線が敗北するとトゥパマロスの攻撃は激化したため、ウルグアイ議会は1972年4月に内戦状態を宣言し、軍と警察が総力を挙げてトゥパマロスを弾圧し、同年9月にはセンディックら幹部が逮捕され、トゥパマロスは壊滅した。 文化面では、文学においては『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』(1971)で知られるジャーナリストのエドゥアルド・ガレアーノなどが活動した。
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