藤木久志による「惣無事令」論とは? わかりやすく解説

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藤木久志による「惣無事令」論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 06:43 UTC 版)

惣無事令」の記事における「藤木久志による「惣無事令」論」の解説

歴史学者藤木久志は、刀狩令や海上賊船禁止令喧嘩停止令など、私闘抑制する一連の法令併せて豊臣平和令(とよとみへいわれい)という概念提唱した。これは神聖ローマ帝国ラント平和令などに示唆受けている。 豊臣平和令のうち、大名間の私的な領土紛争禁止するものが惣無事令とされる。つまり、領土紛争においては全て豊臣政権がその最高処理機関として処理にあたり、これに違反する大名には厳し処分下すという法令である。また、秀吉関白立場明確に示す形で、あくまでも天皇命令勅定)によって私闘禁止天下静謐)を指令するという立場掲げた惣無事令は、1585年天正13年10月)に九州地方1587年天正15年12月)に関東奥羽地方向けて制定された。惣無事令発令は、九州征伐小田原征伐大義名分与えた。特に真田氏侵略した後北条氏討伐され北条氏政切腹至り、また伊達政宗南部信直最上義光らを帰順させる事に繋がった奥州仕置とされる。この惣無事令によって、天正十六年の後陽成天皇聚楽第御幸の際など、参集した全国諸大名から関白である秀吉への絶対服従確約する誓紙納めさせ、その違背に対して軍を動員した包囲攻撃のみならず一族皆殺しを含む死罪所領没収ないし減封転封といった厳罰与えた。いわば、天下統一惣無事令成り立ち豊臣政権支配原理となったのである

※この「藤木久志による「惣無事令」論」の解説は、「惣無事令」の解説の一部です。
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