二条教頼とは? わかりやすく解説

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二条教頼

(藤原教頼 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 04:55 UTC 版)

二条 教頼(にじょう のりより)は、南北朝時代公卿歌人。系譜は明らかでないが、関白二条師基の子にして、関白左大臣・二条教基の弟と推定される。あるいは教忠教嗣(のりつぐ)と同一人か[1]南朝に仕えた。




  1. ^ 小木喬によれば、当時の改名は珍しいことではなく、『園太暦』に師基の二男として見える教忠(同記には八幡の戦いで戦死したとされるが疑問)や、東京大学史料編纂所蔵・[[大乗院 (門跡寺院)|]]伝来『摂家系図』に教基の弟として見える教嗣(伝不詳)は、教頼と同一人と推定しても大過ないとする。
  2. ^ 奥書中に「故二条前関白教頼公」とあることによるが、これは教頼が関白に在職していた事実、ひいては『新葉和歌集』の「関白左大臣」が教頼であることを示す唯一の史料としても意義深い。この史料が大正時代八代国治によって提示される以前には、「関白左大臣」を漠然と二条冬実に比定するのが通説であった。


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