藤原宗円
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 14:08 UTC 版)
藤原 宗円(ふじわら の そうえん)は、平安時代後期の人物。後に下野国を地盤に活動した宇都宮氏の初代当主と目される。
注釈
- ^ 享年については69と記すもの[1]と79と記すもの[2]とがある。但し、没年を79とした場合、兄であるはずの兼仲の年齢を上回ってしまうため、69を有力とする見解もあるが、兼仲と宗円の関係については、どちらが兄となるかは確定的にはなっておらず、兄弟である事にも疑義があるため、確定的な没年齢は不明である。なお、野口実は69歳説の場合、前九年の役が発生したのが宗円11歳の時のことになってしまうことを指摘して、同説が正しいとなると凶徒調伏の逸話も実際には後三年の役の出来事であった可能性も検討されるとしている[3]。
- ^ 栃木県益子町上大羽の地蔵院にある墓所の銘が「兼綱」となっている。
- ^ 宇都宮家の『先祖墳墓地頂戴執成依頼状』[4]に『先祖宗円墓所ハ日光山(輪王寺)ニ御座候』とあり。
- ^ 宗円自身は同じ藤原北家でも中御門流出身とする説、あるいは中原姓出身とする説もある。
- ^ 野口は『中右記』康和4年4月19日条・同5年10月8日条に登場する「三井寺禅師宗円君」を藤原宗円と比定し、同天仁2年10月26日条裏書に記載された大宮右大臣(藤原俊家)の子である「三井寺禅師」と同一人物であるとしている。
- ^ 藤原俊家を父とする野口説に従えば、宗円は右大臣の子という貴種の出身となり、神職者より上座に座ることに問題は無い。
出典
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