藤原宗子 (藤原宗通女)
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藤原 宗子(ふじわら の そうし/むねこ、嘉保2年〈1095年〉 - 久寿2年9月15日〈1155年10月12日〉)は、平安時代末期の女性。権大納言藤原宗通の女。関白藤原忠通の正室。崇徳天皇の中宮皇嘉門院聖子の生母。通称は法性寺北政所[1]。
- ^ a b c d e f 関口「藤原宗子①」『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7 pp. 2186
- ^ a b 樋口健太郎「藤原忠通と基実-院政期摂関家のアンカー-」(初出:元木泰雄 編『保元・平治の乱と平氏の栄華』〔中世の人物 京・鎌倉の時代編第1巻〕(清文堂出版、2014年)/所収:樋口『中世王権の形成と摂関家』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02948-3)2018年 pp. 166–167
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