藤原安継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/30 00:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
|
|
---|---|
時代 | 平安時代初期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・周防守 |
主君 | 平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 藤原式家 |
父母 | 父:藤原種継、母:藤原継縄娘 または父:藤原清成 |
兄弟 | (種継の子の場合)仲成、縵麻呂、山人、 藤生、井出湯守、世嗣、安継、薬子、 東子 (清成の子の場合)種継、安継、正子 |
子 | 時継、賀備能、常江 |
藤原 安継(ふじわら の やすつぐ)は、平安時代初期の貴族。藤原式家、中納言・藤原種継または無位・藤原清成の子[1]。官位は従五位上・周防守。
経歴
従五位下に叙爵後、平城朝の大同3年(808年)雅楽助に任ぜられるが、間もなく左大舎人助に転じる。大同5年(810年)薬子の変に伴い、薩摩権守に左遷される。
その後赦免され、淳和朝の天長6年(829年)に従五位上に昇叙されている。その他に周防守も務めた。
官歴
注記のないものは『日本後紀』による。
- 時期不詳:従五位下
- 大同3年(808年) 5月9日:雅楽助。5月28日:左大舎人助。8月3日:大舎人助
- 大同5年(810年) 9月10日:薩摩権守
- 天長6年(829年) 正月7日:従五位上
- 時期不詳:周防守[2]
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
出典
- 藤原安継のページへのリンク