著者・慶福院花屋玉栄とは? わかりやすく解説

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著者・慶福院花屋玉栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/19 01:26 UTC 版)

花屋抄」の記事における「著者・慶福院花屋玉栄」の解説

本書著者とされる慶福花屋玉栄は、近衛稙家の娘である。近衛稙家は『紹巴抄』の著者里村紹巴などの『源氏物語』についてのさまざまな著作を持つ人物たちと交流があり、また現在代表的な青表紙本系統の写本としてさまざまな校本底本採用されている大島本として知られている写本桐壺巻を書写した聖護院25代門跡である道増玉栄叔父にあたり夢浮橋巻を書写した大僧正法務准三后道澄玉栄兄弟にあたるなど、玉栄『源氏物語』について深い知識獲得しうる環境にあったと見られる花屋玉栄には、本書の他に本書同様に『源氏物語』について語釈巻名の由来などを内容としているが啓蒙書的性格のより強い初心者向けの注釈書である1602年慶長7年4月成立とされる玉栄集』なる書物存在する当時最高権力者である豊臣秀吉は、晩年になってから『源氏物語』興味示していたが、同人『源氏物語』を学ぶのに使用したらしい秀吉自筆書写本源氏物語のおこり』(阿波蜂須賀家旧蔵・現専修大学図書館蔵本)も花屋玉栄北政所おねねの侍女「ちやあ」(秀吉側室であったいわゆる淀君お茶々」とは別人玉栄の姪にあたる古市胤子のこと)に贈った源氏物語古系図元にその冒頭末尾にあった源氏物語のおこり』の部分秀吉書写したもので、かつ完成した秀吉自筆書写本には花屋玉栄改め奥書書き加えている。こうした状況から考えて秀吉花屋玉栄から『源氏物語』について継続的な指導受けていたのではないかとも考えられている。このような出来事は、花屋玉栄『源氏物語』についての見識当時から高く認められていたことに加えて豊臣秀吉豊臣姓を名乗る前に花屋玉栄の弟である近衛前久猶子となって藤原姓名乗っていた時期があるなど、近衛家五摂家中でも豊臣家とは最も近い関係にあることの反映であるとも見られる

※この「著者・慶福院花屋玉栄」の解説は、「花屋抄」の解説の一部です。
「著者・慶福院花屋玉栄」を含む「花屋抄」の記事については、「花屋抄」の概要を参照ください。

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