著者・成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 15:26 UTC 版)
当書を著し、代々伝えてきたのは、古代から朝廷の書物を管理してきた大江家であり、鎌倉幕府の時代では源頼朝から実朝の三代にわたって、兵法師範として伝授してきた一族である。 当書によれば、「永い歳月を経て、虫や鼠にかわりがわり噛まれ、その伝えを失い、何人の作述か(具体的には)知られておらず、大祖宰(大江)維時卿の作とも、大宰帥匡房卿の書なりともされる」とあり、説として、維時か匡房としている。日本兵法研究会会長家村和幸は、時代的に見て匡房の作としている。従って、11世紀末か12世紀初め頃とみられる。当書には、一切、「武士」や「侍」といった語が用いられておらず、「兵」や「軍」としか記されていない。また、内容から権威主義的であり、戦国期(15世紀末から16世紀)における下剋上といった合理・実力主義的な思考(中国的戦争観)が全く見られないことから、まだ武家が権威に対して従順だった時代の頃(鎌倉期以前)の作とわかる(戦国期では通じない精神的な面、「兵の本分とは」といった理念も見られる)。 また、『闘戦経』は度重なる戦乱を経て一部のみ伝わったものとされる。
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