著名な海賊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:00 UTC 版)
海賊の黄金時代には現在でもよく知られている多くの海賊が活躍した。17世紀のバッカニアについてはアレクサンドル・エスケメランの『アメリカのバッカニア』に、17世紀末から18世紀の海賊についてはキャプテン・チャールズ・ジョンソンの『悪名高き海賊たちの強奪と殺人の歴史』、通称『海賊史』に各人の伝記が詳細に記されている。 ヘンリー・モーガン - パナマ市を陥れた偉大なバッカニア。イギリス本国で処刑されるはずだったが逆に騎士叙任を受けてジャマイカ副総督に就任した。元海賊船長としては珍しく、1688年に自然死した。 ヘンリー・エイヴリー - 捕まったり戦死したりすることなく、財宝を手に引退できた数少ない著名な海賊船長の一人。財宝を満載したムガル皇帝アウラングゼーブの持ち船ガンズウェイ号を拿捕したことでも有名。 ウィリアム・キッド - 通称"キャプテン・キッド"。1701年、海賊行為の罪でロンドンの海賊処刑場(英語版)で処刑された。ただし、彼の罪状については今でも議論されている。彼が隠したとされる「キャプテンキッドの財宝」で有名。 サミュエル・ベラミー - 通称"ブラック・サム"ベラミー。海賊船「ウィダーガリー」号船長。1717年の嵐で消息を絶った。 スティード・ボネット - バルバドスの裕福な土地所有者だったが、冒険心から海賊に転向した。1717年に砲10門を備えたスループ船「リヴェンジ」号の船長になり、ヴァージニア沿岸を荒らし回った。1718年に捕まり絞首刑に処された。 "黒髭"エドワード・ティーチ - 1716年から1718年にかけて鉄の爪でいくつもの海を支配した、おそらく史上もっとも有名な海賊。彼の一番有名な乗艦はアン女王戦争にちなんで名付けられたアン女王の復讐号である。1718年にロバート・メイナード大尉とその部下たちによって殺された。 ジョン・ラカム - 通称"キャラコ・ジャック"。1720年に捕まり、絞首刑に処されポートロイヤルに死体を晒された。 アン・ボニーとメアリ・リード - ジョン・ラカムの海賊船に男性と偽って乗船していた二人の有名な女海賊。 バーソロミュー・ロバーツ - 通称"ブラック・バート"。20隻もの海賊艦隊を率い、1719年から3年間で400隻の船を拿捕した、歴史上最も成功したと言われる海賊。1722年、アフリカ沿岸で殺された。 エドワード・ロー - 1721年から1724年に活動した。捕虜を殺す前に拷問を行ったことで有名。彼は西インド諸島からアソーレス諸島、ロードアイランド、ヴェルデ岬諸島、シエラレオネまでの広範囲にわたる航海を行った。残忍な性格で知られており、モイドール金貨が詰められた袋を海に投げ込んだポルトガル船の船長に対しては、部下にその船長の唇を切り落とさせ、それを焼いた上でポルトガル船のクルーたちに食べさせたという。 ウィリアム・フライ - 1726年に処刑された。歴史家マーカス・レディカーによると、彼の処刑が海賊の黄金時代の終焉となった。
※この「著名な海賊」の解説は、「海賊の黄金時代」の解説の一部です。
「著名な海賊」を含む「海賊の黄金時代」の記事については、「海賊の黄金時代」の概要を参照ください。
- 著名な海賊のページへのリンク