菜
『万葉集』巻1 巻頭歌 乙女が籠と串(=草を掘るための道具)を持ち、岡の菜を摘んでいた。そこへ雄略天皇がやって来て、「乙女よ。汝の家と名を、私に告げ知らせよ」と歌いかけ、求婚した。
★2.菜(あるいは桑)を摘む女が、王の后になる。
『今昔物語集』巻3-16 天竺マカダ国王の行幸を、多くの人々が見ようと、出かける。1人の娘だけが、家に待つ老母のために僅かの間も惜しみ、一心に菜を摘んだまま、王の方を見ようとしない。王は彼女の孝心に感じ、后にする〔*『三国伝記』巻10-4に類話〕。
『三国伝記』巻10-3 聖徳太子27歳の春、行啓途中に、沢の根芹を摘む3人の卑女を見る。2人は太子の行啓を拝するが、1人の娘は芹摘みを続ける。「養母への孝養のため芹を摘み、行啓を拝する暇なし」と答える娘を太子は迎え取り、第1の后とする。彼女を膳手の后と称する。
『列女伝』巻6-11「斉宿瘤女」 斉の閔王が東方の町に出遊した時、人々がことごとく王の姿を拝したが、1人だけ、頸に大きな瘤のある女が、顔を上げず桑を摘み続けていた。「父母から桑を採る事を教わり、王を見る事を教わらなかった」と言う女を、王は「賢女なり」とよろこび、后とする〔*『三国伝記』巻10-2に類話〕。
『沙石集』巻9-18 文永年中(1264~78)のこと。尾張甚目寺辺に住む12~13歳の女童が菜を摘んでいると、美しい男が声をかけ、女童はその場に横たわる。ところが女童は、尊勝陀羅尼を記した紙で髪を結んでいたので、男は逃げ去った。近くで田を耕している人には、「4~5尺の蛇が女童に巻きつこうとしたが、急に身を縮めて這い隠れた」と見えた。
『二人静』(能) 菜摘女が、正月7日の神事に供える若菜を摘む。怪しい女が現れ、「写経をして、罪業深き我が跡を弔え」と請う。女は静御前の霊であり、菜摘女に取りつく→〔双面(ふたおもて)〕1。
★4.男が桑を摘む女を見て、それが自分の妻と気づかず口説く。
『列女伝』巻5-9「魯秋潔婦」 結婚後まもなく遠方に赴任した魯の秋胡は、数年後、家に戻る途中の路傍に桑を摘む女を見、心ひかれて言葉をかけるが、拒絶される。帰宅して妻を呼ぶと、それが先程の桑摘みの女だったので、秋胡は驚く。妻は、家を出て河に投身する〔*『西京雑記』巻6などに類話。*→〔妻〕8の、自分の妻と知らず口説く物語の1種〕。
『子不語』巻4-87 鄭家の老母が危篤に陥るが、息を吹き返し、起き上がって言った。「私の魂が戸口を出て行くと、『奴隷の細九の家の子に転生する』と言う者がいたので、そいつを打ちのめして帰って来た」。老母は青菜の湯(スープ)を一口飲んでから、また牀(とこ)に倒れて死んだ。しばらくすると奴隷の細九がやって来て、「我が家に男児が生まれ、口に菜っ葉を含んでいた」と言った。
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