茶を飲む儀式の「茶礼」(タレ)
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「茶礼 (韓国)」の記事における「茶を飲む儀式の「茶礼」(タレ)」の解説
「韓国の茶」、「茶#朝鮮半島」、および「茶道#朝鮮・韓国」も参照 朝鮮半島では、高麗時代までは茶文化がある程度普及して隆盛していたが、朝鮮王朝になると儒教を国教としたため、仏教文化である茶文化は仏教の禁圧と共に壊滅した。仏教と関連していた茶の木が根こそぎ抜かれて、茶文化が消えた。お茶を奉げる仏教儀礼の「茶礼」を禁じられて以降、酒を奉げる儒教の「祭祀」となったが、名前のみは「茶礼」と呼ばれていた。これが後述の供養の儀式としての「茶礼」(チャレ)となる。 近代の朝鮮半島では茶文化が皆無に等しく、尾崎という日本人が光州にある山の裾につくった茶園が近代以降朝鮮半島で初めてであるほどだった。1960年代に崔吉城が韓国文化財管理局からの依頼で茶文化を調査した際にも、数箇所の寺で個人的に茶を若干栽培しているのみ、という状態だった。こうした中、韓国では1970年代に「韓国茶文化復興運動」が始まった。「韓国茶文化の伝道師」といわれる韓国茶文化協会理事長(2010年現在)のイ・グィレは、1973年から古典の翻訳等の研究を進め、1979年に「韓国茶人会」を発足させた。1981年には毎年5月25日を「茶の日」と指定し、1995年になると「韓国茶文化展」をドイツ、米国、中国、インドなど15カ国で開催し宣伝普及を行っている。しかし、茶について書かれた史書が韓国ではせいぜい10冊程度しか残っておらず、当時どのように茶礼がとりおこなわれていたのかはわかっていない。 また、茶道(茶礼)は古代韓国から日本に伝わったという韓国起源説が一部で存在しているが(p50)、そのような説は史書の扱いに無理があることや日本の茶道は強い独自性があること等から否定されている。
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