若宮丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 17:57 UTC 版)
若宮丸(わかみやまる)は、仙台藩領陸奥国牡鹿郡石巻裏町の米問屋米沢屋平之丞の持ち船で、24反帆、800石積みの千石船である[1][2][3]。1793年(寛政5年)に石巻から出帆したが、舵の損傷で操船不能におちいり、1794年(寛政6年)にアリューシャン列島へ漂着した[4]。この船の乗組員16名のうち、津太夫、左平、太十郎、儀兵衛は世界を一周する形で1804年(文化元年)に日本への帰国を果たした。この世界一周は日本人としては初めての事例である。また、善六はロシアに帰化し、後に日本とロシアの交渉において通訳となった[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “若宮丸漂流民の概略”. 石巻若宮丸漂流民の会. 2020年7月19日閲覧。
- ^ a b c 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)265頁。
- ^ “みちのく悠々漂雲の記/宮城県”. 2018年10月4日閲覧。
- ^ 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)270頁。
- ^ a b c d e 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)269-270頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)265-268頁。
- ^ 浦戸諸島/若宮丸漂流の事
- ^ a b c 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)270-271頁。
- ^ a b c 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)271-272頁。
- ^ 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)272-274頁。
- ^ 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)274-275頁。
- ^ a b 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)275-276頁。
- ^ 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)279頁。
- ^ a b c d e f g 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)276-277頁。
- ^ 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)263頁。
- ^ 『石巻の歴史』第二巻 通史編(下の1)277-278頁。
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