芸術の後援者として
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「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の記事における「芸術の後援者として」の解説
ヘンリエッタ・マリアは芸術に強い関心を抱いており、宮廷行事の構想など様々なかたちで芸術活動を支援している。さらにヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世は、絵画作品の「熱心で博識な収集家」だった。ヘンリエッタ・マリアがパトロンとなった芸術家のうち著名な人物として、1626年にフランスから招聘したお気に入りの宮廷人フランソワ・ド・バッソンピエール (en:François de Bassompierre) とともにイングランドへ招かれたイタリア人画家オラツィオ・ジェンティレスキがあげられる。オラツィオと、その娘で同じく画家の道を選んだアルテミジア・ジェンティレスキは、プラセンティア宮殿クイーンズ・ハウスの大規模な天井画制作に携わっている。イタリア人画家グイド・レーニもヘンリエッタ・マリアが好んだ画家で、そのほかにミニアチュール作家のジャン・プティト (en:Jean Petitot))、ジャック・ブールディエの後援者になっている 。 チャールズ1世が絵画や美術品に多大な興味を持っていたのに対し、ヘンリエッタ・マリアは歴代スチュアート王族のなかでももっとも重要な仮面劇のパトロンとなっていった。ヘンリエッタ・マリアは、劇作家ウィリアム・ダヴナント (William Davenant) が1640年に発表した『サルマキスの略奪 (Salmacida Spolia)』など、多くの仮面劇に自身で出演しているほか、1638年にダヴナントがイングランド桂冠詩人の称号を手にしたことにも力を貸している。さらに作曲家ニコラス・ラニエー (en:Nicholas Lanier) のミュージカル作品に支援を行っている。 ヘンリエッタ・マリアは彫刻や建築といった立体芸術にも興味を示し、デザイナーのイニゴー・ジョーンズを王室営繕局長官として採用し、1630年代に多くの建物を建造させている。また、チャールズ1世と同じく、ヘンリエッタ・マリアは園芸そのものではなく庭園の設計に熱中した。フランス人造園家アンドレ・モレ (en:André Mollet) を雇い入れ、ウィンブルドン・ハウスにバロック様式の庭園を造らせている。ヘンリエッタ・マリアはフランス人彫刻家ユベール・ル・スール (en:Hubert Le Sueur) も後援しており、外観こそ簡素ではあるが、内装が金銀で装飾された聖遺物箱を始め、絵画、彫刻、庭園、さらにはルーベンスが描いた祭壇画、フランソワ・デュサルト (en:François Dieussart) がデザインした聖体顕示台などで豪華に飾り立てられた、壮大な浪費として悪名高かった礼拝堂の建設にも一役買っている。
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