ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 08:51 UTC 版)
「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の記事における「ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世」の解説
結婚当初のヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世の仲は良好なものではなく、チャールズ1世がフランスからの側近を追放してからも関係はなかなか好転しなかった。結婚当初のヘンリエッタ・マリアが心を開いたイングランド人に、カーライル伯の夫人ルーシー・ヘイ (en:Lucy Hay, Countess of Carlisle) がいる。ルーシーの夫はチャールズ1世が重用した側近 (en:Gentleman of the Bedchamber)で、ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世の結婚をまとめ上げた人物である。ルーシーは敬虔なプロテスタント信者で、その美貌と際立った個性を謳われた女性だった。当時のルーシーはバッキンガム公の愛人ではないかと噂されており、現在でも、ルーシーがヘンリエッタ・マリアに近づいたのは、新しい王妃のもとでのバッキンガム公の立場を強化するためではないかという説がある。いずれにせよ、1628年の夏ごろにはヘンリエッタ・マリアとルーシーは親密になり、ルーシーは王妃付きの女官 (en:Lady-in-waiting) に選ばれている 。 しかしながら、1628年8月にバッキンガム公が暗殺されると、チャールズ1世に対してそれまでバッキンガム公が担っていた役割を果たす家臣は出てこなかった。ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世の関係は急速に深まり、強い信頼と愛情関係を築きだし、ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世の間には明るい冗談が絶えることがなかった 。1628年にヘンリエッタ・マリアは最初の子供を身ごもったが、1629年3月13日にひどい難産の末に死産している。1630年には将来イングランド王チャールズ2世として即位する男児が産まれたが、王室侍医テオドール・ド・マイエルヌは、この出産も難産だったことを記録している。そして、王太子を出産したこともあってヘンリエッタ・マリアは、過去にバッキンガム公が果たしていたチャールズ1世のもっとも身近な相談相手という役割を事実上手に入れることとなった。1634年にヘンリエッタ・マリアは、それまでお気に入りだったルーシー・ヘイとの交際を完全に停止し、チャールズ1世と過ごすことをもっとも重要視し始めた。ヘンリエッタ・マリアとルーシーが不仲になった原因は明らかになっていない。カトリックのヘンリエッタ・マリアから見れば、敬虔なプロテスタントだったルーシーの生活は放縦にうつり、さらにルーシーの自信に満ちた態度とその美貌に何らかの不安を感じたのではないかという説もある。
※この「ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世」の解説は、「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の解説の一部です。
「ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世」を含む「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の記事については、「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の概要を参照ください。
- ヘンリエッタ・マリアとチャールズ1世のページへのリンク