芸人・喜劇役者
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アダチ龍光 手品師のアダチ龍光については、マジシャンとしての技術もさることながら、社会現象に対するリアクションとセンス、それを喋る話芸のすべてが素晴らしく、寄席演芸の最高の芸人と評価した。高座でも「アダチ龍光にヒザ替りをつとめてもらうことが、私の名誉であり、真打の格だ」「引田天功がどう華麗に鳩を出そうが、アダチ龍光の芸には敵わない」と褒めちぎるほど、惚れるだけ惚れまくった芸人だったと述べていた。 爆笑問題 爆笑問題がデビューしたての頃、太田光の持つ才能をすぐに見抜いて高評価した談志は、太田に対し「天下、獲っちゃえよ」と応援すると同時に「(相方の)田中だけは切るなよ。こう出来た奴も、なかなかいないもんだ」と述べ、田中が太田にとって欠かせない存在であることを説いた。しばしば「太田は俺がよそで作った子供だ」とも発言した(太田の実父は、もともと、談志を嫌っており、これを聞いて、少し不安になったという逸話を太田が語っている)。 ビートたけし ツービートを真っ先に「面白い」と最初に認めたのが縁で、ビートたけしと交流を持った。双方とも洒落のきつい性格のため、癌から生還した際、「あのじじい、またくたばりぞこないやがって(笑)」とたけし流のエールを送った。破門騒動の折、談志と一門が『ビートたけしのオールナイトニッポン』にゲスト出演した際には、「なぜ破門されたか」ではなく「これからどんなことをやっていくのか」と談志に問いかけ、たけしなりの気遣いを見せていた。また、この放送では意図的に放送禁止用語を連発した。2010年9月、談志は『新潮45』でのたけしと爆笑問題・太田との鼎談で「たけしが落語家になってくれりゃつくづくよかった」とも発言している。 藤山寛美 お互い売れ出した1960年代、関西に藤山寛美というすごい芸人がいるという話を聞いて松竹新喜劇の舞台を見に行ったところ、舞台上で寛美が壁によじ登っていた。その姿を見て「登れェー」と談志が叫んだところ、寛美はずり落ちて観客の爆笑をさらう。この一件で、談志は寛美の芸を評価するようになった。寛美が亡くなった際には「通天閣が無くなったようだ」と偲んだ。 上岡龍太郎 横山ノック同様、談志は、上岡龍太郎を「大阪の芸人の中で、一番知能指数が高い」と高評価しており、上岡も談志を尊敬している間柄である。 博多華丸・大吉 2005年、彼らが上京して間もない頃、『談志・陳平の言いたい放だい』(東京MXテレビ)のコーナー「芸人解放区」に出演し、ガチガチに緊張しながらネタを披露した後、「まあ、内容として、こういう優しいネタを選んでて。俺はとっても文化的には好きだなあ。あとで、いいアドバイスしてやるよ」と声をかけた。その後、収録後の打ち上げでコンビを別室に呼び「いいか。よく聞け。これは過去、爆笑問題にしか言っていない。――絶対に、解散するなよ」とアドバイスしたという。 ピコ太郎(古坂大魔王) 「爆笑オンエアバトル」出演時、談志は古坂のネタを「イリュージョン」と表現、音楽ネタをやり続けるようにアドバイスをした。その後、自身の独演会の前座に古坂を呼んだこともあった。
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