花筵九十年の土ふまず
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評 言 |
作者に初めてお会いしたのは県協会主催の吟行句会を民陶の里小鹿田で開催した時、小柄な方という印象であった。その後「続々末の娘」という第三句集を戴いて壮絶な人生経験を知り俳句への情熱への一端を知らされた思いがした。1917年6月に大分県九重町に生まれ今年で94歳。現在も生まれ故郷に住む。 1939年いわゆる内地で嫁さんだけの結婚式を終え夫を追って渡満して終戦。夫君はシベリヤに抑留されて1951年に34歳で子供2人を連れて引き揚げている。その時の感慨を「生きているということがこんなに嬉しいものか、戦争で死んだ人の分生きていこうと思いました。二人の子供を連れて帰ったことが一番嬉しいのです。」 この思いは東北大震災で津波を逃れられた多くの方々の発した「生きている」という言葉と共有できると思っている。しかし、作者の苦難はそれだけに納まらず、引き揚げてから9年目に火災にあい、昭和17年にも地区の大火に巻き込まれる災難に遭っていることである。近年は2004年に読売西部俳壇年間賞一席を、2006年に大分合同新聞読者文芸年間賞を授賞。しかし、特筆すべきことは地域での俳句活動は百名を越える俳句愛好者を育てたことにある。 2007年には俳句を通して地域の文学活動に貢献したとして国際ソロプチミスト玖珠による女性栄誉賞を授与されている。作者に多くの共鳴者を得た背景は困難を幾つも乗り越えてきた「人生の教科書」が目の前にあったためと想像できる。第46回現代俳句全国大会では「沖縄忌母は生涯海の色」で毎日新聞社賞を92歳で授賞。 掲句は作者を識ることにより人生90年の集大成、その坦々とした表現のなか俳句という詩形で人生を詠った「土ふまず」に無心の明るさを覚えるものである。 |
評 者 |
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備 考 |
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