船舶の航行方法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:39 UTC 版)
多くの船舶は狭水道部で一時的に減速した後、加速して航路を抜ける。一方で、不慣れな操船者が不安定な舵や速力の調整をしたり、かつては、操船技術の高い全長約200 mの大型船が全航路約22ノットを維持したまま通過するケースもあった。1994~2003年10年間のデータでは来島海峡航行中に発生した100トン以上の船舶の乗揚海難事故は20件あり、馬島南東岸・今治東岸、西航時の発生が多い。 馬島と小島の間を「西水道」、馬島と中渡島の間を「中水道」と呼び、大型船舶はどちらかを通航する。 特にこの中水道と西水道では、船舶の安全な通航を確保するため、潮流の流向によって通航する経路を変更する、「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}順中(ジュンチュウ)逆西(ギャクセイ)」と言う特殊な航法を行うことが、海上交通安全法に定められている。これは、船が潮流に乗って航行する場合(順潮)の場合は短く屈曲の少ない中水道を、潮流に逆らって航行する場合は西水道を進むという規則である。潮流の方向が北向きの場合は通常通り右側通行、南向きの場合は左側を通る形になり、1日にほぼ4回通行方向が入れ替わるが、こうした切替方式を採っている場所は、世界唯一である。この順中逆西の航法は、明治時代に普及し始めたもので、汽船第二富美丸同南都丸接触の件(高等海員審判所大正12年6月19日裁決)で初めてこの航法による裁決が言い渡された。順中逆西の航法は1929年(昭和4年)の「内海水道航行規則」で法制化され、1953年(昭和28年)の「特定水域航行令」や1973年(昭和48年)の「海上交通安全法」へ受け継がれた。 なお、潮流の向きが変わる1時間以内に海峡に入る場合には「転流時通報」をしなければならない。また、屈曲した狭い区間での原則追越し禁止や最低速力確保、速力制限のルールが設定されている。
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