船舶と産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/15 16:59 UTC 版)
「ヴァリャーグからギリシアへの道」の記事における「船舶と産業」の解説
スカンディナヴィア・バルト海とそこに流入する河川では、主な航海手段としてクナールという小型の船を用いた。12世紀にはノヴゴロドの人々にシュネーカ(ru)と呼ばれた船が用いられた。小型船の利点は、交易路北部の岩礁群((ru)参照)を通過できる点であり、現在でいうスウェーデンから、フィンランド湾の奥、さらに湾に注ぎ込む川まで、ほとんど外洋に出ることなく航海することができた。クナールは比較的小さな外洋船でもあり、ノヴゴロドまでの河川を遡ることもできた。ノヴゴロドでは商品の一部を売却し、また新たに商品を買い求めた。その積荷は、ルーシの小さな川を航行するのに適した、より小さく喫水の浅い船に積み替えた。 ルーシの船はラディヤーまたはローディヤ(ru)と呼ばれ、川だけでなく海の航行にも用いられた。他にもいくつかの形状・名称の船が存在した。また、コンスタンティノス7世の著述(10世紀)には、「クリヴィチ族等が春に大きな木をくりぬいた30人から40人乗りのボートで、スモレンスクやチェルニゴフへ入り、その後ドニエプル川をキエフへと向かった。彼らはここで船を改装し、荷を積み込み、河口へと出発した」というものがある。 黒海では地中海型の東ローマの商船も利用された。それらの船には特別な名前はなく、船を意味するナウス(ロシア語表記:наус)と呼ばれた。 「ヴァリャーグからギリシアへの道」上の連水陸路にあたるトロペツとスモレンスクでは、航路に関連した産業があった。上流の浅い河川を曳航し、木材を運送し、人々や家畜を供出した。小さな河川用の船を作る造船所もあった。スカンディナヴィアやバルト海の岩礁群、入り江、またルーシの河川において、船を案内するのは特別な専門家が行った。彼らはヴァリャーグ人やスラヴ人、ギリシア人によって、航海士や舵手と呼ばれた。
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