船舶と航海法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 05:43 UTC 版)
王国の海洋交易には、主に積載量に優れるジャンク船が使用された。王国末期の16世紀初頭に使われたジャンク船の積載量について、フランスの東南アジア史研究者Pierre-Yves Manguinは平均値を400から500トンと計算した。ポルトガルとの戦争が始まると速度、操縦性、火力のいずれにも欠ける巨大なジャンク船は淘汰されていき、船舶の小型化が進んでいく。 交易や戦争に使われる船舶は国内の造船所で建造された船舶以外に、材木と技術者に恵まれたペグー朝のマルタバンで購入されることもあった。マラッカの造船所に所属する大工の技術は高く、アルブケルケはマラッカを占領した後に造船所の大工60人をインドで使役するために連れ去った。 16世紀初頭のマラッカ王国では、船主たちによって独自の海洋法(ウンダン・ウンダン・ラント)が考案され、船舶の所有者たちはこの法律を書き留めた。この法はイスラム法(シャリーア)よりも優先されるものと位置づけられ、後にブギス族が制定した航海法にも影響を与えた。航海法には船員に保証された諸々の権利、出向時の船の条件、停泊時の目的と責任などが定められているほか、航行を助ける水先案内人の性質を定義もしている。 水先案内人は先人の知恵と自分たちの見聞を元に作成した独自の海図を用い、アルブケルケは1511年に入手したジャワ人の水先案内人の海図を今まで見た中で最高の地図と称賛した。この海図には東にモルッカ諸島、中国人と琉球人の航路が、西にペルシャ湾、紅海、ポルトガル、喜望峰、ブラジルが描かれていたが、海図が積載されていたフロール・デ・ラ・マール(英語版)号の難破と共に失われた。
※この「船舶と航海法」の解説は、「マラッカ王国」の解説の一部です。
「船舶と航海法」を含む「マラッカ王国」の記事については、「マラッカ王国」の概要を参照ください。
- 船舶と航海法のページへのリンク