腸捻転解消へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:11 UTC 版)
1974年11月18日、TBS社長の諏訪博が高橋を訪ねる。諏訪はMBSとABCの腸捻転ネットが見過ごせない状況になったと判断、「もしABCがNET系列に移行するならTBSとJNNはMBSの系列入りを諸手を上げて歓迎する」と述べて高橋にネットチェンジへの理解を求めてきた。高橋はこれを受諾。諏訪は直後にABC社長原清に会って「朝日新聞さんとの関係を鑑みればABCはいつかJNNを離れる日が来る。今なら一番円滑に事が進む」と述べて番組ネットの打ち切り、JNNネットワーク協議会と五社連盟からの退会を通告した。1975年(昭和50年)3月31日、MBSテレビはNET(ANN)系列からTBS(JNN)系列に変わり、同時に五社連盟にも参加した。 「ジャパン・ニュース・ネットワーク#沿革」も参照 このネットチェンジで『大正テレビ寄席打ち切り事件』の時その存続に腐心した『日曜お笑い劇場』がスポンサーの大正製薬の意向でABCテレビに移動となる。高橋はMBSの社運をかけたプロジェクトだった吉本新喜劇の放送を何としても続けさせるため取締役テレビ営業局長に昇進していた斎藤に指示して営業部門をフル回転させ、吉本興業ともタッグを組んで新規スポンサーとなる地元企業の獲得に奔走した。結果、TBS発全国ネット番組の絡みで土曜日の午後に移動となりながらも『花月爆笑劇場』のタイトルで存続が決まり、放送時間も拡大することになった。また同時に後続番組だった『買いまショウ』のスポンサー江崎グリコを説得、日曜お笑い劇場の枠が空いた日曜12時台前半に移動させた。 「よしもと新喜劇#ネットワーク変更以降」および「斎藤守慶#ネットチェンジと新喜劇」も参照
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