ネットチェンジと新喜劇
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1971年(昭和46年)にテレビ営業局長、1973年(昭和48年)6月の株主総会で取締役選任。テレビ開局から16年後の1975年(昭和50年)3月31日、毎日放送テレビがTBS系列にネットチェンジした際には、JNNネットワーク協議会総会にMBSを代表して出席。入会の挨拶ではMBS主催で前年に始まったばかりのダンロップフェニックストーナメントに引っかけ「(ANN系時代は)ゴルフでいえば隣のコースでプレーしていたようなもの。JNNのコースに戻ることができて大変嬉しい」と発言した。 このネットチェンジにより斎藤と高橋がその継続に心血を注いだ『日曜お笑い劇場』がスポンサーの大正製薬の意向でABCテレビに移動となる。斎藤は新喜劇を何としても続けさせるため営業部門をフル回転、吉本興業ともタッグを組んで新規スポンサーとなる地元企業の獲得に奔走した。結果、TBS発全国ネット番組の絡みで土曜日の午後に移動となりながらも『花月爆笑劇場』のタイトルで存続が決まり、放送時間も拡大することになった。また同時に後続番組だった『がっちり買いまショウ』のスポンサー江崎グリコを説得、日曜お笑い劇場の枠が空いた日曜12時台前半に移動させた。 詳細は「よしもと新喜劇#ネットワーク変更以降」を参照 1978年(昭和53年)、常務取締役に昇格。1982年(昭和57年)4月の機構改革で、新設された事業本部(現在の事業局)のトップとなる本部長を兼ねることになった。
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