脆弱な保安体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)
千日デパートの保安管理は、日本ドリーム観光の千日デパート管理部に所属する保安係がその業務を担当していた。#千日デパートビルの保安管理 保安係の主たる任務は、商品や各店舗の保安監視および安全管理、火災などの災害または盗難等の予防監視ならびに警備取り締まりであるから、デパート閉店後の館内巡回は重要な業務であり、防火シャッター等の閉鎖確認も災害発生を未然に抑えるうえで重要である。また店内工事に際して保安係員が立ち会うことも各テナントに対する保安管理面の責務として必要と考えられるところだが、同デパートでは、人員の削減などにより十分な保安体制が確立されない状況となっていた。同デパートでは、消防当局からの指導で売場内の防火区画シャッターを閉店後に閉鎖するように指導されていた。同デパートの防火区画シャッターは一部を除き、そのほとんどが手動式で、地下1階から4階までに合計68枚設置されていた。これらを限られた人数の保安係員だけで開店時と閉店時に開閉するのは労力的に厳しく、その実効性はなかった。保安係の職務のひとつに「店内諸工事などの立ち会いならびに監視取り締まり業務」があり、本来ならば店内工事に際して保安係員が工事に立ち会う義務があったが、昭和40年ころから一部を除いて工事に立ち会っていなかった。保安係員は、開業当初の1958年当時は25、26人の人員がいたものの、1967年(昭和42年)にテナントに対する契約方式を納入契約制から賃貸契約制に移行したのを機に人員が削減され、火災発生当時の1972年(昭和47年)には日勤専従者2人を含む14人(2班6人、24時間勤務、隔日交代)で業務を行っていた。また保安係員の給与面などの待遇はあまり良くなく、退職者が発生してもその補充が容易にはできなかった。したがって限られた人数の保安係員だけで68枚の手動式防火区画シャッターを開閉することは難しく、テナントの協力を得て売場の防火区画シャッターを開店時と閉店時に開閉することも困難な状況であった。またテナントの多くは、デパートビルの防火管理はデパート管理部が行うべきものと考えていて、デパート側とテナント側双方の共同防火意識は希薄だった。以上のように千日デパートの保安体制は極めて脆弱なものであったのは確かであるが、のちの防火管理者らに対する刑事裁判やテナント訴訟において、デパート管理部の防火責任者が消防当局からの指導があるにも拘らず、閉店後の防火区画シャッター閉鎖の体制づくりを怠っていたことが火災被害拡大の要因であると認定された。売場内の防火区画シャッター閉鎖の実効性は現に存在し、各テナントの協力を得ることで同シャッター閉鎖は十分に実現できたと考えられた。実際にニチイを始めとする各テナントは、デパート側からシャッター開閉の協力要請があれば契約内容にかかわらず商品や店舗の安全性に関わることであるから、容易に協力しただろうと見解を述べている。
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