背景と起源:第二次世界大戦から1957年まで
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第二次世界大戦の間、アメリカ海軍はワシントンD.C.技術者を集めて日本軍とドイツ軍双方の機械式暗号作成器で作成された暗号を解読するマシンの開発に当たらせた。大戦が終わって軍事費削減が行われる中でチームを解散させた場合の機密漏洩を危惧したことから、ミネソタ州セントポールのチェース・エアクラフト社にチームごと引き受けることを要請する。終戦で軍との契約をほとんど失っていたチェース社にとってもこの申し出は渡りに船で、チームの前歴を一切問わずに軍用グライダー工場を拠点として雇用する。これにより Engineering Research Associates (ERA) が設立され、1950年代初頭まで一見して海軍とは無関係の様々なプロジェクトに従事した。そのうちの一つに世界初の商用プログラム内蔵方式コンピュータだった36ビットの ERA 1103 が挙げられるが、これも海軍が暗号解読センターで使うことを目的としていた。 その後1950年代初頭にアメリカ議会で海軍が実質的にERAを「所有」していることが問題となり、海軍はERAから出資を引き揚げ海軍に協力していた格好のチェース社も1952年にレミントンランド社へERAを売却してしまう。レミントンランド社はERAのチームを維持し新製品の開発を続けていた。同社が最も興味を抱いたのはERAの磁気ドラムメモリシステムである。レミントンランドは間もなくスペリーと合併しスペリーランドとなり、ERA部門はスペリーのUNIVAC部門に吸収された。当初ERAから来た人々は技術的才能を買われて様々なプロジェクトに参加したが、UNIVACからERAに任された UNIVAC II(英語版) プロジェクトが炎上しスペリー社経営陣とチームとの間の関係が悪化する。 大企業の社風が合わないと感じたERAの技術者たちは辞職し、1957年にコントロール・データをミネアポリスに設立する。CDC設立メンバは満場一致でウィリアム・ノリスを最高経営責任者に選出した。また、シーモア・クレイはチーフデザイナーに選ばれたが、1103ベースの 海軍戦術情報システム (NTDS) に関する仕事が続いていたためプロジェクトが完了するまでCDCに合流できなかった。
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