老朽化と解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 15:26 UTC 版)
都心の超一等地にあるためバブル景気時には地上げの格好のターゲットにされ地権が複雑化したが、その後のバブル崩壊によって沙汰止みになった。補修の手が加えられぬまま外壁の老朽化が進んだため、外壁を剥落事故防止用のネットで覆っていた。ただ、老朽化し廃墟の様相を呈した雰囲気が、逆に多くの人を惹きつけることにもなった。 この老朽化した外装とは裏腹に、構造体としての鉄筋コンクリートは、建築当時は主流であった上質な川砂を使っていることもあり、築80年以上経ても長らく大きな劣化は見られなかった。 しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災では震度5強の揺れにより被災し(ビルから徒歩数分の距離にあり、同じく昭和初期に建てられた九段会館は、天井が崩落し死者を出す被害を出した)、耐震性の保証が難しくなったことから、所有者においてビルの維持は難しいとして解体が決定した。 2011年9月、解体工事が開始されるとの告知貼り出しと、ビル左約3分の1について養生、足場組立が行われた。同月下旬、同部分に限り解体開始。残存部分で営業していた1階テナントも順次閉店、退去開始。。 2011年12月、全面解体の見通しの旨がマスメディア(紙媒体/web媒体)で報じられ、解体を惜しむ声がウェブ上に多数上がった。併せて、使用可能な居室を使ってのギャラリーとしての展示会が連日開かれていた。そのため通常は立ち入る事が出来ない建物内を一部見学可能にしていた。 翌2012年1月には全面的な解体を開始。同年2月上旬には完全に解体され更地化、85年に渡るビルの歴史を閉じた。 2013年4月、本ビルの跡地を学校法人専修大学が取得した。 2020年4月、跡地に2020年専修大学神田高層新校舎(10号館)が竣工し、運用が開始された。
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