織田氏上杉氏の関係と地域情勢とは? わかりやすく解説

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織田氏・上杉氏の関係と地域情勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/12 17:57 UTC 版)

濃越同盟」の記事における「織田氏・上杉氏の関係と地域情勢」の解説

戦国期東国中央情勢において、東国では甲斐国武田氏相模国後北条氏駿河国今川氏が甲駿相三国同盟形成し武田後北条氏同盟背景北信北関東において越後上杉氏敵対していた。一方尾張国織田氏永禄8年将軍足利義昭奉じて上洛すると義昭通じて諸大名との外交展開し甲斐武田信玄とは同盟関係築き越後上杉氏との接触していた。 甲斐武田氏越後上杉氏北信を巡る川中島の戦い永禄4年第四次合戦契機収束し永禄12年末には織田氏同盟相手である三河徳川家康協調して駿河今川領国への侵攻開始し駿河侵攻)、相模後北条氏との関係破綻招いた後北条氏駿河侵攻後に武田手切となった家康加え越後上杉氏との和睦同盟持ちかけ(越相同盟)、武田氏対抗する武田氏はこれに対して信長将軍義昭との関係を通じて対抗図り越後上杉氏との和睦開始し甲越和与)、越相同盟妨害する越相同盟上杉北条両者不破から成立せず、元亀2年1571年)末には武田北条間の甲相同盟回復する甲相同盟背景武田氏遠江三河方面への侵攻開始し三河徳川氏敵対する信長このころ殿中御掟などの政治方針めぐって将軍義昭対立し義昭信長打倒画策し武田氏越前朝倉義景本願寺北近江国衆である浅井長政らを糾合して信長包囲網結成した元亀3年信長甲越和与のため奔走していたが、信玄10月初旬将軍義昭応じた三河織田領への軍事的侵攻西上作戦)を開始し上杉謙信に対して石山本願寺神保氏椎名氏越中諸将調略して反乱を起こさせた(越中大乱)。これにより謙信越中釘付け態となった。 当時織田軍は浅井朝倉のほか、三好義継松永久秀畿内の諸将による反乱鎮圧にも当たることを余儀なくされ、各地に軍を分散しており、武田軍に当たる余力無かった遠江徳川家康10月中旬一言坂の戦い大敗し独力で武田軍対抗することは不可であった信玄行動危機感抱いた織田信長上杉氏に対して協力もちかけ軍事同盟締結するに至るのである

※この「織田氏・上杉氏の関係と地域情勢」の解説は、「濃越同盟」の解説の一部です。
「織田氏・上杉氏の関係と地域情勢」を含む「濃越同盟」の記事については、「濃越同盟」の概要を参照ください。

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