緑地保全地区制定とは? わかりやすく解説

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緑地保全地区制定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 03:34 UTC 版)

狛江弁財天池特別緑地保全地区」の記事における「緑地保全地区制定」の解説

1962年昭和37年)に定められ都市計画では、現在の管理区域を含む狛江駅北口周辺には駅前広場道路作られることになっていた。この都市計画をもとに、1979年昭和54年)から狛江駅北口再開発計画進められた。この計画では、泉龍寺境内に幅16メートル道路通り現在の保全地区及びその周辺駅前広場中高ビル建てられる予定となっていた。 この計画1982年昭和57年)、狛江駅北口地区市街地再開発調査整備構想案としてまとめられ市民公開された。しかし、この計画には反対の声があがり、住民によって、この年から反対運動緑地保全運動盛んになった。この運動には泉龍寺加わり市長陳情書出された。 1984年昭和59年)、市長は、関連住民理解等が得られるまでは次の段階進まないこと、計画情報公開して話し合いの場を設けることを文書約束した反対住民は、この再開発計画自分たちだけでなく市民全体問題であると考え賛同者募った。そして任意団体狛江駅北口問題考え市民の会」(以下「市民の会」)を発足させた。 狛江市は、このまま再開発計画進めることは困難であると判断し、市が作った案を棚上げした。そして、考える会を整備計画進め組織として位置付けた。市は市民に対して考える会への参加呼びかけ考える会は市のアドバイスを受けながら計画案をまとめた。計画案駅前緑地水辺を残すもので、市はこれを採用した。さらに、駅前残され樹林地自然公園にしようという運動起きた。この案は市民団体狛江駅北口自然公園実現目指す連絡会」によって署名運動がなされ、市議会等に請願書出された。議会請願採択した最終的に市は緑地保全地区を受けることを決定し1987年昭和62年8月13日東京都によって緑地保全地区指定された。

※この「緑地保全地区制定」の解説は、「狛江弁財天池特別緑地保全地区」の解説の一部です。
「緑地保全地区制定」を含む「狛江弁財天池特別緑地保全地区」の記事については、「狛江弁財天池特別緑地保全地区」の概要を参照ください。

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