総攻撃開始(2009年 - 2014年)
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2009年1月21日に6thシングル「As」を、2月18日に7thシングル「Hallelujah」を、3月11日に2ndアルバム『mar maroon』をリリース。昨年に蓄積したものを解放する思いを込め、「総攻撃開始」をスローガンに、3月13日から1年3か月ぶりのツアー「SPRING TOUR 2009 HEADS UP!!」を開催。過去最大の全国15箇所とワンマン初のSHIBUYA-AXで「SPRING TOUR 2009 HEADS UP!! FINAL All out attack」と題したファイナル公演を敢行。この公演では来場者限定のDVD配布やスピードくじ、謎のバンド"凶器所持"がオープニングアクトとして出演するといった特別企画が行われた。8月6日からは「灼熱のXII Days THE BURNING 12DAYS」を開催、前半を「首都圏SIX DAYS」、後半を「THE GUILTY OF SIX DAYS」と題し、後半は各メンバーのプロデュースによる公演を行った。10月7日に8thシングル「薄紅と雨」リリース、同タイトルを冠したツアーを10月11日より開催。12月12日にはワンマン初となる渋谷公会堂にてフリーライブ。このライブで9thシングル『TATTOO』のリリースを発表し、同シングルの発売日の翌日にはリリース記念ライブを開催した。 2010年3月31日にライブDVDをリリース、4月1日より東名阪ツアーを開催。ファイナルのSHIBUYA-AXの公演で川内の誕生日を祝うサプライズが行われた。また同月に期間限定再結成したバンドΛuciferに対して、宮脇が「リュシフェル期間限定復活おめでとうございます。ワインのようにシーズニングされたmakoto君の歌も楽しみにしてます。」とメッセージを寄せた。4月29日よりイベント「EXTRA-TERRITORIAL」へ参加。宮脇とkannivalismの圭の発案で、フリーウィル所属のバンドが勢揃いした初イベントとなった。10thシングル『THE PAIN OF CATASTOROPHE』をリリースし、7月14日にリリースされた3rdアルバム『SEVEN』のレコーディングが終わると、宮脇はFIFAワールドカップ南アフリカ大会の観戦のため現地へ向かう。宮脇の現地の様子や観戦した試合のレポートなどを掲載する個人ブログが話題となり、開設から2週間で300万アクセスを記録し、アメーバのブログランキングでは最高3位(visual系部門)まで上昇した。帰国後、7月24日よりツアー「2010 SUMMER TOUR SEVEN-Footsteps to steal up on-」を開催。9月から11月にかけては数々のイベントに参加し、11月13日には約3年ぶりとなるアメリカでのライブを行う。 一連のイベントと12月のツアースケジュールが発表されていたが、10月8日に須賀が最終日をもって、音楽性の違いにより脱退と発表された。2011年2月、4人体制でバンドを継続すると発表される。2013年7月、サポートを務めていた斎藤紳一郎が正式に加入し、再び5人体制となる。しかし、2014年12月12日、活動休止を発表。
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