第20師団主力の戦闘
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「フィンシュハーフェンの戦い」の記事における「第20師団主力の戦闘」の解説
10月11日、第20師団長の片桐茂中将率いる歩兵第79連隊ほか第20師団主力(1個連隊欠)は、険しい山道を踏破してサッテルベルク高地に到着した。主力部隊は陸上から侵攻する一方、歩兵第79連隊第3大隊の一部(杉野挺身隊)184名を海上機動して逆上陸させる総攻撃作戦が立案された。ところが、総攻撃前の15日に日本軍将校が落とした荷物から師団作戦命令書が連合軍に回収され、奇襲のはずの逆上陸は予知されてしまっていた。 主力部隊は前進を開始したものの道に迷ってしまい、17日の総攻撃開始に間に合わなくなってしまった。杉野挺身隊は、3隻の大発を使って連合軍の背後、スカーレット海岸への逆上陸作戦を予定通り決行した。1隻は途中ではぐれ、2隻が17日午前1時30分にスカーレット海岸へ上陸した。逆上陸を予知していたオーストラリア軍部隊が海岸で待ち伏せをしており、多数の曳光弾が上陸直後の杉野挺身隊を襲った。第20師団主力は戦闘の発生に気がついたが、道に迷っていたために挺身隊を見殺しにせざるを得なかった。挺身隊の兵員184名中72名が戦死、杉野中尉以下18名が重傷を負い、生還したのは僅かに7名のみだった。 第20師団主力は18日から総攻撃を開始したが、ジャングルに仕掛けられていたマイクによって行動を探知され、猛砲撃を受けて大損害となった。そのうえ、同日午後に入ると陸空両方からの攻撃を受けて後退を余儀なくされた。第20師団はフィンシュハーフェンへ急行する際に火砲の大半を残置していたため、各砲兵中隊は山砲1門程度しか持っておらず、有効な火力支援を得ることができなかっただけでなく、補給も不十分な状況では攻勢を継続することができない状況だった。その後も連合軍の追撃を受けたため、遂に10月24日には総攻撃中止を決心した。
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