統治の強化、治世末期、そして死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 17:20 UTC 版)
「グングヌム」の記事における「統治の強化、治世末期、そして死」の解説
マルグイムに対する勝利に続くグングヌムの年名はラルサ領内における防御施設網の改良に焦点が当てられており、統治の安定強化の時期であることを示唆している。治世第20年、グングヌムはウルで新しい大市門を建設し、翌年にはラルサ市自体の周囲に巨大な防御壁を完成させた。彼はこの業績を「シュメールとアッカドの王」という称号を記載した王碑文上で共に記念している。最後に、治世第22年と第23年の年名は要塞化された年ドゥンヌム(Dunnum)の建設活動、イシャルトゥム運河の掘削、そしてカ・ゲシュティン・アナ(Ka-Geštin-ana)の「偉大な壁」の完成に言及している。これらは恐らくニップル市の近郊に位置していた。 更に、グングヌムはこの頃また、キスッラ市の奪回にも成功したようであり、彼の治世第23年の年名を持つ文書がこの都市から発見されている。この時、キスッラ市がどの程度の期間ラルサの支配下に残っていたかは不明であるが、少し後のこの都市の文書にはグングヌムの死に言及する未確認の年名が使用されている。このことは、キスッラ市の地方行政がラルサに直接的に従属していたのか、あるいは前1900年頃のある時点で成立した地方王朝によって引き継がれたのかどうかに関わらず、グングヌムその人が治世の最後の瞬間までキスッラ市の地方政府の基準であったことを示している。 グングヌム治世の最後の5年間の年名は全て宗教活動と灌漑作業の問題に関わるものである。この期間に年老いたグングヌム王はラルサ市にニンシンナ(英語版)のための神殿を建設し、ウルのナンナ神殿のための銀製像を作り、更にギルス(英語版)近郊のバ・ウ・ヘ・ガル(Ba-ú-hé-gál)運河を掘削した。グングヌムはこうして、比較的小国であったラルサをイシンの覇権を最終的に崩す地域的勢力へと変えた後、平和的な記録で彼の治世を締めくくっているように思われる。グングヌムが死ぬと、ラルサ王位はアビ・サレによって継承された。グングヌムと彼の詳しい関係は、利用可能な史料によって家族関係を知ることができないため、現在のところ不明である。とは言え、王位継承は秩序だっており、数多くの廷臣が新しい王の下で元の地位にとどまり、中断することなく奉仕を続けていたという事実が示すように、混乱もなかった。
※この「統治の強化、治世末期、そして死」の解説は、「グングヌム」の解説の一部です。
「統治の強化、治世末期、そして死」を含む「グングヌム」の記事については、「グングヌム」の概要を参照ください。
- 統治の強化、治世末期、そして死のページへのリンク