結成・独立戦争開始
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「エリトリア解放戦線」の記事における「結成・独立戦争開始」の解説
国際連合の決議により、1952年にエチオピア帝国とエリトリアでは連邦制が布かれた。しかし、連邦制施行後、1955年の憲法においてエチオピアの公用語であるアムハラ語のみが政府の公用語として定められる、また翌1956年には教育現場でのティグリニャ語・アラビア語の使用が禁止されるなど「アムハラ化政策」の下でエリトリア人の権利が制限されていくに従ってエリトリアではエチオピア政府に反発する気運が生まれた。 エリトリア解放戦線は1958年に結成され、秘密裡に活動していたが、1960年7月に至ってカイロにおいて正式に結成を発表した。この時の成員はハミッド・イドリース・ムハンマド・アダムのほか知識人や学生を中心としていた。結成当初のELFはイラク及びシリアの支援を受けたムスリム運動的な色彩の強い組織だった。当初、独立運動に関わる集団は民族及び地理的条件によって分かれていた。ELFの当初の4つの地区別部隊は全て低地地域のものでイスラム教徒を中心にしていた。これらの部隊にはイスラム教徒に支配されることを怖れてキリスト教徒はごく少数しか参加していなかったが、エチオピアによる併合後、公民権が剥奪されるようになって高地のキリスト教徒もELFに参加するようになった。これらのキリスト教徒は上流階級かあるいは高等教育を受けた者が多かった。1961年にハミッド・イドリース・アワテ(en:Hamid Idris Awate)はELFの軍事部門を編成し独立への闘争開始を宣言した。アワテの指導の下、1961年9月1日にはバルカ地方においてエチオピア帝国政府及びエチオピア軍に対する武装闘争(エリトリア独立戦争)を開始し、ゲリラ戦による闘争を続けた。事実上の内戦という状況下で1962年にエリトリアはエチオピアの一州、エリトリア州として併合された。
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