結婚と王位継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/10 23:15 UTC 版)
「カタリーナ・コルナーロ」の記事における「結婚と王位継承」の解説
1458年にキプロス王ジャン2世が死去すると、王位はジャック2世の異母妹で正嫡のシャルロットが継いだ。しかしながらジャン2世の庶子だったジャック2世がキプロス王位を求めてシャルロットと争い、シャルロットをローマへ追放して1464年にキプロス王位に就いた。政治的支援を必要としていたジャック2世は、キプロスと関係が深かったヴェネツィア共和国の名門貴族コルナーロ家の娘カタリーナを王妃に望んだ。ジャック2世からの申し込みはヴェネツィア側を非常に喜ばせ、ヴェネツィアとキプロスとの交易がいっそう盛んになり、キプロスでヴェネツィアに対する数々の特権が与えられるなどの効果となって表れた。当時のカタリーナは14歳であり、1468年7月30日にヴェネツィアで行われたジャック2世とカタリーナとの結婚式は代理結婚式だった。数年後にカタリーナはキプロス島へ渡り、正式にジャック2世と結婚生活を始めている。 正式な夫婦生活を始めて間もない1473年にジャック2世は突然発病し、7月に死去してしまう。当時ジャック2世の子を身篭っていたカタリーナは、ジャック2世の遺言に従ってキプロス王国の摂政となった。1473年8月に嫡子ジャック3世が生まれてキプロス王となったが、1歳の誕生日を迎える直前の1474年8月にジャック3世も死去してしまう。このジャック3世の死因についてはさまざまな疑惑が取り沙汰されている。 12世紀初頭の成立以来、250年余りを経たキプロス王国は衰退しており、1426年以来イスラム国家のマムルーク朝の属国のような立場に甘んじていた。ジャック3世の後を継いでキプロス女王となったカタリーナだったが、キプロスはヴェネツィアの商人たちが経済を握り、支配する国となっていった。そして1489年3月14日にカタリーナは退位し、キプロスの支配権を故国ヴェネツィアに譲渡することを余儀なくされた。 「2月14日に、黒いドレスをまとった女王は男爵や侍女らに付き添われつつ、馬に乗って王宮を離れた。6名の騎士が女王の騎馬の手綱をとっていた。王都ニコシアを去るときの女王の目には涙が溢れていた。すべての民草が女王との別れを惜しんで嘆き悲しんだ」
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