結婚と渡米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:37 UTC 版)
1906年、アリスはルイ・フイヤードのために闘牛を題材にした映画『ミレイユ』を撮影するため、フランス南部でロケをすることになった。しかし、アリス作品お抱えのカメラマンだったアナトール・ティベルヴィルは体調が良くなかったため、ゴーモン社は代わりのカメラマンとして、アリスの9歳下のイギリス人ハーバート・ブラシェ(英語版)を派遣した。ハーバートはゴーモン社のロンドン支社で支社長に次ぐ地位にあった人物で、パリで研修を受け、技術面に習熟したら支店長としてベルリンに赴任する予定だった。アリスは『ミレイユ』のロケ中にハーバートと親しくなったが、撮影で訪れた闘牛場で闘牛士が試合をアリスに捧げたところ、ハーバートが嫉妬し、それで2人はお互いを想っていることに気付いたという。ハーバートは撮影終了後にクロノフォンの販売業務のためにドイツへ向かったが、ドイツの顧客がその技術的問題でクレームを言ってきたため、アリスはハーバートを助けるためにベルリンを訪れ、2人は再会した。そこで2人のロマンスは実を結び、同年のクリスマスに正式に婚約した。 1907年3月6日、34歳のアリスはハーバートと結婚した。その直後、ゴーモン社はクロノフォンの特許使用権をアメリカ合衆国のオハイオ州クリーブランドの2人の事業家に譲渡し、事業を軌道に乗せるためにハーバートを派遣することにした。ブラシェ夫人となったアリスは夫に同行し、ゴーモン社製作責任者の役職は新たにフイヤードが就任した。渡米後、ハーバートはクロノフォンの宣伝事業に9か月間を費やしたがうまくいかず、1908年にゴーモン社はニューヨークのフラッシング(英語版)に開設したばかりのスタジオを管理し、英語でフォノシーンを撮影するために夫婦を呼び寄せ、ハーバートにその指揮を任せた。同年9月6日、アリスは長女のシモーヌを出産し、家事と子育てに専念するため、1910年まで映画製作から距離を置いた。
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