経済成長:酪農、木材
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 17:19 UTC 版)
「ウィスコンシン州の歴史」の記事における「経済成長:酪農、木材」の解説
19世紀ウィスコンシン州経済の主要要素は農業だった。ウィスコンシン初期の農家では小麦が主要穀物だった。実際に19世紀半ば、アメリカ合衆国で生産される小麦の約6分の1がウィスコンシンでだった。しかし、小麦は急速に土壌の養分を奪い虫害や天候にも弱かった。土壌がその質を落とし、価格が下がると、小麦耕作は西のアイオワ州やミネソタ州に移った。ウィスコンシンの農夫の中には輪作やその他の方法で土壌の肥沃さを再現する実験を行った者もいたが、大半は小麦の代替品に目を移した。 小麦に変わるもので最も人気があったのが酪農業だった。小麦が人気を失ってしまうと、多くのウィスコンシン農夫は酪農用牛を飼い、餌となる穀物を育て始めた。酪農業に人気が集まった理由の一つは、多くのウィスコンシン農夫が当時酪農製品の一番の生産地であったニューヨーク州の出身だったことだった。さらにヨーロッパからの多くの移民がチーズ作りに関する広範な知識をもたらした。酪農はウィスコンシン大学マディソン校によっても促進された。この大学では酪農家を教育し、より良い酪農製品を作る方法を研究した。20世紀の初めに、ウィスコンシン州は合衆国でも最大の酪農製品生産州となり、この地位は1990年代まで続いた。 農業は森林密度の濃いウィスコンシン州北部では向いていなかった。開拓者達は木材伐採のためにこの地域に入った。木樵達は遠くの森林から都市の製材所まで木材を運び出すためにウィスコンシン川などの河川を使った。ウォーソーやスティーブンスポイントなど都市の製材所は木材を板材にして、鉄道で中西部に運び建設用に供した。後にはフォックス川渓谷で発展した製紙業が州内製材業で出たパルプを利用した。 製材業は事故発生率の高い危険な職業だった。1871年10月、ペシュティゴの大火では製材業の町ペシュティゴの周辺の森林1,875エーカー (4,850 km2) を焼き、1,200名から2,500名の死者を出した。これはアメリカ史の中でも被害の大きな火事であった。
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